鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ 丹尾安典「国史の図像群」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第三分冊第49輯、早稲田大学⑶ 養正館の先行研究については主に次を参照。澤田佳三「絵画館と壁画─東京府養正館の国史絵画」『昭和期美術展覧会の研究 戦前篇』東京文化財研究所、2009年、465-482頁。蔵屋、前掲書。国史絵画をまとめたものとしては主に次を参照。結城素明編『東京府養正館國史壁畫集』東京府養正館國史繪畫會、1942年。神宮徴古館『国史絵画』神宮徴古館、1988年。所功編『名画にみる國史のあゆみ』近代出版社、2000年。⑷ 調査委員13名は次のとおり。三上参次、黒板勝美、辻善之助、平泉澄、藤岡継平、吉田熊次、楢崎浅太郎、徳富猪一郎、安岡正篤、伊東忠太、正木直彦、和田英作、佐々木秀一。(澤田、前掲書、注⑷、480頁)⒀ 『養正館の期する処』発行所不明、1937年、6-8頁。⑵ 蔵屋美香「壁画の流れと東京府養正館の国史壁画」『視覚の昭和 1930-40年代─東京高等工芸⑸ 国維会については主に次を参照。河島真「国維会論─国維会と新官僚─」『日本史研究』第360⑹ 香坂昌康「『小国民文庫』発刊のことば」『国維』第31号、1934年12月1日(『香坂昌康遺芳録』⑺ 「奉献画帖」国民新聞社編『国民年鑑 大正7年』民友社出版部、1917年、433頁。「立太子式記念奉献画帖」『美術画報』第41編巻3、画報社、1918年、16頁。大正6年の完成を予定していたが、実際には大正7年頃に遅れたとみられる。⑻ 昭和10年10月14日に開催された調査委員会において、建築・絵画の経過報告のほか、当初は75点だった国史絵画に新たに大正時代の画題《皇太子殿下御外遊(洋行)(英国)》《皇后陛下の御仁慈》が追加され78点となった。以降、その後の当時の資料には総数77点と記されているが、これは2点の《皇太子殿下御外遊》を1点と数えたためと考えられている。(蔵屋、前掲書、注⑵、141頁)⑼ 聖徳記念絵画館に関する先行研究では次が詳しい。林洋子「明治神宮聖徳記念絵画館について」『明治聖徳記念学会紀要』復刊第11号、明治聖徳記念学会、1994年、82-110頁。青木麻理子「茨城県近代美術館所蔵 二世五姓田芳柳作聖徳記念絵画壁画画題考証図下絵について」『茨城県近代美術館研究紀要』10号、茨城県近代美術館、2003年、37-77頁。⑽ 澤田、前掲書、473頁。⑾ 『初等教育叢書』第4編、文泉堂書房、1932年、52頁。⑿ 「東京府養正館設置規程」昭和12年5月18日 東京府告示第378號(遊佐重四郎編『現行教育法を中心に、画題と教科書の内容を比較整理した結果、実際に多くの共通点を持ちつつも、国体教育のための教材として視覚的な効果を期待され、より意図的な画題選択が行われていたことが明らかになった。なお、国史絵画各作品の分析については今後の課題としたい。大学院文学研究科、2004年、109-124頁。学校のあゆみ〔二〕』展図録、松戸市教育委員会、1998年、137-142頁。号、日本史研究会、1992年、1-32頁。香坂昌康遺芳録刊行会、1972年、242-254頁所収)。令全書 府令篇 第一』誠文堂新光社、1940年、347頁所収)。― 90 ―― 90 ―

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