⑫ 建仁寺 霊洞院蔵 狩野探幽筆「三教図」の画賛について研 究 者:東京藝術大学 非常勤講師 片 山 真理子はじめに狩野探幽筆「三教図」が建仁寺霊洞院で所蔵されて(以下霊洞院本「三教図」と称す)おり、所蔵となった経緯は不明ながら、狩野探幽(1602~74)が描いた絵にという点に加え、朝鮮国の人の手になる画賛があるという点で関心を惹くものである。三幅一対となる掛軸で座する釈迦を中心に向かって右に孔子、左に老子が立像であらわされる。2000年4月開催の栄西禅師建仁寺開創八〇〇年記念特別展「京都最古の禅寺─建仁寺─」ではじめて公開され、展示そのものは鎌倉時代に日本へ伝来した中国の禅宗文化に関連した茶道具である覆輪をともなった元時代の天目茶碗や龍泉窯の青磁をはじめ、俵屋宗達の風神雷神図屏風、海北友松の障壁画など、名品揃いの展覧であった。こうした名作が数々並ぶなかに朝鮮半島由来の作例も少なからず出展され、足利義政が高麗国に建仁寺の修造の助力を請い、長禄二年(1458)に請来された高麗版大蔵経(再彫版)や朝鮮時代の青緑山水図、朝鮮国書契、高麗茶碗、京都の仁阿弥道八が写した御本立鶴茶碗などが見られ、内容においても好奇心を募らせるものがあった。この霊洞院本「三教図」もそのうちのひとつであり、芯の詰まった賛文の書体と卒なく纏められた探幽の筆致は対照的な組み合わせであって、個人的に興味深いものになっていた。賛文の読解には難儀したが、楷書で書かれた落款部分に「朝鮮国」と記されているところにおいてさらに関心を抱いた。展覧では気に留めたに過ぎなかったが、その後、時を経て作品を直に見分するという機会に恵まれ、当時学芸員として活動していた朝鮮美術の専門の美術館で開催した展覧で出品をお許しいただいた。しかしながら、願っていた展覧の機会を得ながらも知識、思慮に乏しく、画賛についての研究には及ばず苦いものとなった。賛者の特定に及ばずに、賛文の提示にとどまったという第一歩となった。そこから更に歳月を経て、近年にこの霊洞院本「三教図」を見直したところ、着賛した人物がどのような人物であるか、号からの検索でその人物が誰なのかが判明し、改めて研究を深めたいと考えるに至った。着賛時の年号「庚戌首春」(1670)の前年、寛文九年(1699)十一月十二日に釈迦・孔子・老子の三幅一対が「絵讃」が御誂之注文として対馬から釜山倭館に運ばれたという史料の存在にも当たることがあり(注1)、両者を併せて考察する機会が得られた。ここに知り得た情報を提示するものとしたい。― 117 ―― 117 ―
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