鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ 泉澄一「寛文末~延宝期の釜山窯をめぐって:対馬藩・表書札方毎日記を中心にして」『関西大学東西学術研究所紀要』 15、 関西大学東西学術研究所、1982年3月によれば、宗家文書の資料調査の際に見分された文献の書き抜きを多数提示されており、膨大かつ数か所に分蔵され、宗家文書の全容を知ることが困難であるなか、泉氏の研究対象である陶磁器のほかの絵画の例として「三教図」とみなせる「三幅一対但釈迦孔子老子」を挙げている個所があり、本研究における史料調査の際に当該箇所を特定することが可能となった。⑶ 温玉成・宮大中「儒、佛、道「三教一体」的反動本質」『文物』226、1975年より⑷ 少林寺の石碑「混元三教九流図賛碑」(1565)の全文は「佛教見性 道教保命 儒教明倫 網常是正 農流務本 墨流備世 名流責実 法流鋪制 縦横応対 小説諮詢 陰陽順天 医流原人 雑流兼通 述而不作 博者難精 精者未博 日月三光 金玉五谷 心身皮膚 鼻口耳目 為善殊涂 咸帰于治 曲士偏執 党同排異 母患多岐 各有所施 要在圓融 一以貫之 三教一体 九流一源 百家一理 万法一門」とある。⑸ 元天錫『耘谷行錄』卷之三「三教一理」には以下のように三教一致の思想を解説している。「三敎一理論云。三聖人同生有周。主盟正敎。儒敎敎以窮理盡性。釋敎敎以明心見性。道敎敎以修眞鍊性。若曰齊家治身。致君澤民。此特儒者之餘事。若曰嗇精養神。飛仙上昇。此特道家之祖迹。若曰越死超生。自利利人。此特釋氏之筌蹄矣。要其極處。未始不一。由此觀之。三聖人之設敎。專以治性。所謂盡之鍊之見之之道雖有小異。歸其至極廓然瑩澈之處。皆同一性。何有所窒礙哉。但以三聖人各有門戶。門之後徒各據宗旨。皆以是己非人之心互相訾謷。殊不知各人胸中。三敎之性明然具在也。騎驢者笑他騎驢。良可惜哉。因寫四絶。以繼居士之志云。⑺ 「順陽□風」の印文は難解で、現状で暫定的に「奉」とみなした。御指正を請うものとしたい。⑻ 鄭皙の著書『岳南集』(ソウル大学校奎章閣韓国学研究院蔵)および鄭皙の末裔一家一同が謝辞小堀泰巖猊下をはじめ、京都国立博物館、高麗大学校中央図書館、長崎県対馬歴史研究センター、釜山博物館、両足院各位より御所蔵の画像の提供および撮影の御許可、調査に関しての時間も頂戴しました。また、赤尾栄慶、伊藤東凌、岡本健一郎、加藤祥平、韓苠燮、郷司泰仁、福島恒徳、松田誠一郎、山口華代、柳鉉(敬称略)各氏よりは当研究にご理解をいただき、示唆に富むご助言、ご助力を賜りました。皆様方よりのお力添えにこころより感謝いたします。解説より  儒 格物修身窮理玄。盡心知性又知天。從茲可贊乾坤化。霽月光風共洒然。  道 衆之門玄又玄。眞機神化應乎天。精修直到希夷地。水色山光共寂然。  釋 一性圓融具十玄。法周沙界氣衝天。只這眞體如何說。碧海氷輪共湛然。 會三歸一三敎宗風本不差。較非爭是亂如蛙。一般是性俱無礙。何釋何儒何道耶。」⑹ 申正午「西山休静の儒・仏・道三教宥和論について」『印度學佛教學研究』23巻1号、日本印度学仏教会、1974年12月pp296より。加えて本文献には「西山休静は当時の教界を観破して、儒・仏・道三教の宗祖は異なると云えども、その本質は一心をあきらかにして以心伝心の法を説いたことになり、儒家亀鑑の先頭には孔子の言葉をひきいて天即道、道即心とした意味で一切万物の生成変化は唯心より創造するという、所謂一切唯心観を示したのである。また最終的には周叔茂の言葉である「無極而太極」の思想を引いて結びとしたもの」と記し、朝鮮において存在した様々な思想が合成し、一つとなって混成する様子を示す。⑵ 京都国立博物館『京都最古の禅寺─建仁寺─』2002年4月、図録pp263、№112「三教図」― 124 ―― 124 ―

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