https://encykorea.aks.ac.kr/より⑼ ⑽ 江戸時代、朝鮮通信使の来日は1607年を初回に、1617年、1624年、1636年、1643年、1655年、1682年、1711年、1719年、1748年、1763年、1811年である。戦後処理からはじまり、家光の時代以降は徳川家代々の新将軍襲職祝賀を名目に12度来日している。 ⑾ 井手弥六左衛門(橘智正):対馬の町人出身。慶長六年(1601)~寛永七年(1630)に倭館で朝鮮外交に関わる。慶長六年、同十二年に裁判に任じられ、己酉約定締結の交渉にあたった。最初の裁判役とされる。朝鮮横目:倭館の取り締まりを担当する役人。参考文献─史料対馬宗家文庫史料(長崎県対馬歴史研究センター)対馬宗家文書 第II期 江戸藩邸毎日記(東京大学史料編纂所)1979年に刊行した『岳南文集(石印本)』(高麗大学校中央図書館蔵)の見分調査を行ったが、霊洞院本「三教図」の賛文の記載はいずれにも見当たらなかった。─論文温玉成・宮大中「儒、佛、道「三教一体」的反動本質」『文物』226、1975年古田紹欽「禅と三教思想」『禅』8巻、雄山閣、1942年2月上野洋三「詩の流行と俳諧」『文学』41(11)岩波書店、1973年11月申正午「西山休静の儒・仏・道三教宥和論について」『印度學佛教學研究』23巻1号、日本印度学仏教会、1974年12月泉澄一「寛文末~延宝期の釜山窯をめぐって:対馬藩・表書札方毎日記を中心にして」『関西大学東西学術研究所紀要』 15、 関西大学東西学術研究所、1982年3月若木太一「朝鮮通信使と石川丈山:「日東の李白」考」『九州大学国語国文学会』1982年6月宮崎法子「中国絵画と道教」『道教の美術』2009年7月土屋昌明「朝鮮半島における道教美術」『道教美術の可能性』勉誠出版、2010 年6月─書籍ほか河野元昭『《日本の美術》194 狩野探幽』至文堂、1982年7月久保田量遠『中国儒道仏三教史論』国書刊行会(東方書院昭和六年刊復刻)1986年8月王樹村主編『中国美術全集《絵画編》19 石刻綫画』1988年10月安村敏信『もっと知りたい狩野派─探幽と江戸狩野派─』東京美術、2006年12月門脇むつみ『巨匠 狩野探幽の誕生』朝日新聞出版、2014年10月─図録ほか文化庁ほか『ボストン美術館 東洋美術名品展』1972年3月正木美術館『禅林の人物画』正木美術館、1989年3月京都国立博物館『建仁寺─京都最古の禅寺─』2002年4月東京都美術館『狩野探幽展』日本経済新聞社、2002年10月両足院『両足院─その歴史と文化財─』2007年10月三井記念美術館ほか『道教の美術』2009年7月釜山博物館『東莱府使』釜山博物館、2009年7月― 125 ―― 125 ―
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