⑬ 幕末明治の洋風画について─安田雷洲を中心に─研 究 者:サントリー美術館 学芸員 内 田 洸一、幕末明治期の洋風画の諸相幕末明治期の絵画は、かつては取り上げられる機会が少ないジャンルであったが、1990年代以降、関連する研究が進み(注1)、展覧会も数多く開催され、2010年代の日本美術全集では一巻が幕末明治期にあてられている(注2)。近年では、江戸時代と明治時代の美術を明治元年(1868)で区切らず、近世から近代への連続性に重きをおく考えが主流となってきた。このように空白の時代だった幕末明治期の美術史を埋める作業が着実に進められるなか、洋風画はどのように捉えられているだろうか。簡単に洋風画の歴史を振り返れば、享保5年(1720)の洋書輸入解禁以降、蘭書の挿絵などを通じて西洋絵画の遠近法や陰影法が様々な絵師に影響を与えた。小田野直武(1749~80)らの秋田蘭画、司馬江漢(1747~1818)、亜欧堂田善(1748~1822)による銅版画・油彩画、石川大浪(1765~1817)・孟高兄弟の洋風画など18世紀以降多彩な作品が生まれている。浮世絵のジャンルでも洋風表現が積極的に取り入れられ、早くは浮絵、眼鏡絵が18世紀半ばから流行した。19世紀になると洋風表現は浮世絵だけでなく、狩野派や文人画など様々なジャンルで摂取されている。その全てを述べるには枚挙に遑がないが、いくつか例をあげていけば、画壇の主流であった狩野派においても、例えば木挽町狩野家九代目狩野養信(1796~1846)が、古絵巻から学んだやまと絵の表現と西洋的な遠近法を融合させて「鷹狩図屏風」(板橋区立美術館)を制作したことが知られる。はじめ狩野派を学んだ人物たちからも、鳥取藩御用絵師沖一峨(1796~1816)による景観図や、逸見一信(1816~63)の「五百羅漢図」(大本山増上寺)など、遠近法や陰影法を活用した作品を見出すことができる。文人画においても、谷文晁(1763~1840)が西洋画を学んでおり、文晁にも学んだ渡辺崋山(1793~1841)も西洋画法に関心をもっていたことがうかがえる。19世紀に洋風画を得意とした人物としては、江戸の安田雷洲(?~1859)や横須賀藩御用絵師とされる大久保一丘(生年不詳~1859)、京の松尾秀山(生没年不詳)、京の銅版画家松本保居(1786~1867)、横浜で活躍した五姓田芳柳(1827~92)らがあげられる。以上のような江戸の洋風画の流れがいかに明治期へと続いていったのか、江戸の洋風画と近代絵画の関係性について、いくつか重要な調査研究が行われているが(注3)、幕末明治期の洋風画家については基本的な考証が十分に尽くされていない人物も多い。それぞれ洋風― 130 ―― 130 ―
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