さて、雷洲自身や周辺の作例には西洋の戦争をテーマにした作品が複数見られる。では、雷洲が制作にあたって参考にした西洋製の戦争図とはどのようなものだったか。岡泰正氏は、雷洲が銅版合戦図を制作するにあたり参照した作例として「ヨーロッパ戦闘図〔図7〕」(神戸市立博物館)をあげている(注14)。これは舶載された西洋の戦争図を日本人が写した作品であるが、神戸市博本以外にも複数の写しが確認でき、当時ある程度の流布が確認できる。神戸市博本の全22枚、大和文華館本の一巻(全15図)、ファナック株式会社が所蔵するファナック本の全19図が現存し、この他に早稲田大学図書館所蔵の松平斉民収集貼込貼「芸海余波」にも1図が伝わっている。これらの図像の同異を表にまとめた〔表2〕。最も場面が多い神戸市博本に対応する図像の有無を記している。但し、神戸市博本にはない図像もあり、ファナック本のD-18・大和文華館本11「西洋紀元一千三百八十六年南朝元中三年北朝至徳三年スウィッスル人右オーステンレイキ人左ト戦」は〔表2〕に記していない。原図については、これまで不明であったが、フリードリヒ・カンペ(August Friedrich Andreas Campe、1777~1846)による一連の版画と考えられる。フリードリヒ・カンペは、ドイツ・ニュルンベルクで活動した出版者で、反ナポレオン風刺画を制作していたという。「ヨーロッパ戦闘図」の図様は歌川国芳(1798~1861)の合戦図の典拠とも指摘され(注15)、19世紀の画壇に様々な影響を与えていた。宇田川榕菴『和蘭志略』(早稲田大学図書館)には「ヨーロッパ戦闘図」とは別系統の西洋戦争図が写されており、様々な図像が舶載されていたことが察せられるが、19世紀に西洋戦争図が洋風画や浮世絵などの日本絵画に与えた影響について更に検討する必要があるだろう。幕末明治期に描かれた西洋戦争図関連の作例としては、春木南溟作といわれる一連の「虫合戦図」や複数の絵師が描いた「ワーテルロー戦闘図」があげられる。「ワーテルロー戦闘図」については塚原晃氏の研究に詳しい(注16)。塚原氏の論考によれば、文政9年(1826)の時点で蘭方医桂川家にワーテルロー戦闘図があったことが文献上確認され、伝亜欧堂田善「ワーテルロー戦闘図下絵」(須賀川市立博物館)、雷洲の№5、本多玉岡(注17)の銅版画「ワーテルロー戦闘図」(香川大学附属図書館神原文庫)、菊池容斎「ナポレオン・モスカラ敗戦の図」、河田小龍「西洋戦闘図」、作者不詳の笠間日動美術館本、個人本が報告されている。いずれの作者も武家層であり、幕末という外圧高まる時代にヨーロッパの戦争に関心のある層が制作背景にあったと思われる。雷洲の№10「英仏攻防戦図」(大場代官屋敷保存会)が江戸郊外の彦根藩領を治めた大場家の屋敷の小襖に描かれていたことも武家によって西洋戦争図が受容されていた一例である。― 135 ―― 135 ―
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