鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
150/712

⑼ 本図は『洋風画と泥絵 異国文化から生れた「工芸的絵画」』展,日本民藝館,2020年で紹介された。筆者は2021年美術史学会東支部例会にて本図の原図について口頭発表した(「安田雷洲の洋風画「群船図」(日本民藝館蔵)とその原図をめぐって」)。また、注⑷サントリー美術館展覧会図録にて原図を紹介したが、本図と原図の関係性について図録内の解説では文字数に限りがあったため、本稿で改めて取り上げたい。⑽ 「捕鯨図」に描かれるヤン・マーイエン島が、雷洲に先立って江漢の作品に描かれていることが勝盛典子氏によって報告されている。勝盛典子「司馬江漢の京都時代: 「異国風物図押絵貼屛風」をめぐって」『國華』1535号,國華編輯委員会,2023年9月,7~18頁⒂ 注⒁岡氏論考(1986年)⒃ 塚原晃「近世日本におけるワーテルロー戦闘図の流布と制作について」『神戸市立博物館研究⑻ 河野実「安田雷洲論」『町田市立国際版画美術館紀要』1号,町田市立国際版画美術館,1990⑾ 雷洲の蘭学ネットワークで注目すべきは幕府天文方の宇田川榕菴(1798~1846)である。雷洲⑿ 注⑶角田氏論考⒀ 『異国絵の冒険 近世日本美術に見る情報と幻想』神戸市立博物館,2001年,97頁(塚原晃氏⒁ 岡泰正「安田雷洲筆「赤穂義士報讐図」と若干の銅版画作品をめぐって」『神戸市立博物館研究紀要』2号,神戸市立博物館,1985年3月,41~54頁、岡泰正「歌川国芳の洋風表現の受容について 玄々堂の銅版画とヨーロッパ戦闘図集」『たばこと塩の博物館研究紀要』2号,たばこと塩の博物館,1986年⒄ 本多玉岡については注⑷拙稿参照年と榕菴のつながりについては、注⑹拙稿で紹介した。解説)紀要』23号,2007年3月,9~17頁― 137 ―― 137 ―

元のページ  ../index.html#150

このブックを見る