鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⑭ ホアキン・ソローリャ 作品に見る切り取られた景色─ジャポニスムと写真をめぐる考察─研 究 者:成城大学大学院 文学研究科 博士課程満期退学  平 野 文 千はじめにホアキン・ソローリャ・イ・バスティーダ(Joaquín Sorolla y Bastida, 1863-1923)は19世紀末から20世紀初頭のスペインを代表する画家で、国際的に活躍した。バレンシアの海の風景にこだわり、鮮やかな色彩の画面が高く評価される一方で、大胆な構図の作品も数多く残している。その切り取られたような構図については、今までにもジャポニスムと関連付けて興味深い指摘があるが、ジャポニスムを検討する際によく示される浮世絵と画家の作品を並べるのみで具体的な考察に至っていない。そこで、本稿ではこれまでほとんど調査されることがなったソローリャ美術館の所蔵品を、日本の版画と写真という二つの視点から見直し、ソローリャのジャポニスムを考えたい。1.問題の所在まず、ソローリャとジャポニスムを関連付けるものとして、特に興味深い3つの指摘を確認してみよう。2000年の「海辺にて展」の論考では、フランスの印象派や象徴主義の画家たちのジャポニスムを語る際によく知られる北斎の「神奈川沖浪裏」〔図1〕や「五百らかん寺さざゐどう」〔図2〕とソローリャの《サン・セバスティアンの荒波》〔図3〕を並べて、「日本の浮世絵のイメージ」に重なるとの見方が示された。ソローリャが浮世絵のモチーフの一つ、自然の美しさを鑑賞するために意図的に建てられた場所に集う人々の図を取り入れて、サン・セバスティアンの風景を描いていると指摘した(注1)。次に2009年のプラド美術館における「ソローリャ展」では、ギュスターヴ・カイユボットの《シルクハットの漕ぎ手》〔図4〕や《イエール川でボートを漕ぐ人》(1877年、個人蔵)とソローリャの《漕ぎ手》〔図5〕や《レーシングシェル》(1908年、個人蔵)において見られる極端な遠近法や水平線の排除、少ない配色などの共通点からから、日本の版画との類似性が指摘された(注2)。2019年のナショナルギャラリーで開催された「ソローリャ展」では、《午後の海辺 バレンシアにて》〔図6〕を例にあげて「ソローリャの海辺や水平線の省略は、日本の木版画からインスピレーションを受けたのかもしれない。日本の版画では、部分的な景色を示すために風景が切り取― 141 ―― 141 ―

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