られることが多い。フランスの印象派の画家たちのようにソローリャは日本の版画を収集して、時には構図についてそれらを参考にした(注3)」として、より踏み込んで「景色の切り取り」や版画の収集について示唆した。しかし、ソローリャが持っているという日本の版画を具体的に示すことはなかった。西洋美術館の川瀬佑介は「ソローリャの日本・東洋趣味」の中で、作品に描かれた日本及び東洋趣味に言及して、東アジアの美術や文物に触れていた可能性を示す写真やソローリャ作品を挙げた(注4)。また、川瀬はソローリャの版画所有について「ソローリャ美術館には、来歴は不明であるものの、日本の美術品が二点所蔵されている。京都の幸野楳嶺による『楳嶺百鳥画譜』明治十四年〈一八八一〉)と、一八九〇年代初めつまり明治二十年代中後半に編まれたと考えられる一〇九枚から成る摺物帖である(注5)」と述べて、画譜と摺物を持っていたことにも触れている。マドリードのソローリャ美術館所蔵の摺物については、バルセロナ大学のリカルド・ブルも画家の摺物所有を示したが(注6)、それ以上の具体的な調査は行っていない。所有した日本の摺物や画譜からソローリャは影響を受けたのだろうか。その問いにこたえるべく画家の作品を考察しながら、新しい視点として写真の影響を考えたい。2.ソローリャの日本趣味ソローリャは画学生だった1879年頃から、バレンシアで写真スタジオを営む著名な写真家である義父アントニオ・ガルシア・ぺリス(Antonio García Peris 1841-1918年)のもとで撮影や彩色写真のアシスタントをした。1879年にそのスタジオで撮影された写真〔図7〕には、後に妻となるガルシア・クロティルデが日本の着物を着てうちわを持っている姿が写っている。背景には日本らしさを醸し出すために植木が置かれているのだろう。また、19世紀末に撮影されたソローリャの子どもたちの写真〔図8〕の背景にも日本の屏風が見られる。バレンシアの写真スタジオの日本趣味が確かめられるとともにソローリャの身近に日本の文物があったことが見てとれる。ソローリャの作品《画家のアトリエ》(1888年、個人蔵)は、調度品にあふれるアトリエの長椅子で裸の子どもが横になってデッサンをしている図である。床にはイスラム風のカーペットが敷かれ、背景右側には明らかに日本風の「絵」が見られ、その下の花瓶には東洋的な効果を狙ったように桜の一枝が活けられている。《食べちゃうぞ》〔図9〕の背景では、漆に花や鳥を配したとみられる四曲一双の屏風が描かれ、左の長椅子には東洋風の刺繍を施されたクッションが置かれており、右端にも陶器を見ることができる。前景の小さな子どもは恐る恐る東洋の虎の毛皮に触れようとして― 142 ―― 142 ―
元のページ ../index.html#155