を残している。1889年にはすでに防波堤から海を眺める作品を描いている。さらに海を眺める人々が加えられ「海、防波堤、見学者」で構成された作品もある。防波堤を斜めや横一直線に描いた多くのバリエーションがあり、何年にもわたって画家が興味を持ったテーマであった。特に1917年の《防波堤の散歩 サン・セバスティアンにて》〔図22〕は写真《サン・セバスティアンの防波堤》〔図23〕が参考にされたと推測される。次に極端な遠近法を使って描かれたボートレースの作品を見てみよう。ソローリャは1896年に超遠近法で、《バレンシアの海辺 舟》(1896年、ソローリャ美術館)を描いた。カイユボットが浮世絵からインスピレーションを受けて作品を描き、さらにソローリャがカイユボットの作品からインスピレーションを受けて作品を描いた可能性は否めない。しかし、ソローリャが所持していた写真には超遠近法で撮られた土産用の写真カード(1905年、ソローリャ美術館)や実際にボートレースを見て撮影した《小型船の漕ぎ手たち》〔図24〕もあり、写真を参考にした可能性が高い。そこで浮世絵との関係が示唆されそうなソローリャ作品にも写真の使用が認められることを示してみよう。葛飾北斎の《東海道程ヶ谷》(1830-1832年)とクロード・モネの《陽を浴びるポプラ並木》(1891年、西洋美術館)はジャポニスムの視点から類似性を指摘される作品である。この2つは垂直に立つ木々の描写から影響関係が見られる。一方、ソローリャにも木立の縦のラインを強調する作品があるが、浮世絵の影響だけと言うことはできない。写真《クロティルデと娘たち》〔図25〕を参考に描いた垂直な木立を強調する作品《サンセバスティアンの風景》〔図26〕があるからである。ほかにも、モネの《ポプラ並木》は、浮世絵の水に映る図像との類似でジャポニスムが指摘される。ソローリャも《セビーリャのアルカサル》〔図27〕で噴水が池に映るさまを描いたが、画家は目の前の景色を写真〔図28〕に残し、それを参考にした。1908年の写真と作品であることから、確かめられるだろう。ソローリャは描きたい景色をレンズを通して決めると、スナップ写真として風景を切り取り、その場で描き切れないものはアトリエに持ち帰り描いていた。目の前の景色を正確に描きたい画家の欲求を満たすためには、その風景を写真として持ち帰って、それを見ながら描くことに何のためらいもなかった。モノクロ写真に彩色する経験が絵画制作に及ぼした影響とは認められないだろうか。写真館での仕事は写真への強い親近感を持つ経験でもあった。写真と日本の版画、浮世絵には「瞬間的に風景や場面を切り取る」という類似点があることから、ソローリャが浮世絵の影響を受けた― 146 ―― 146 ―
元のページ ../index.html#159