注⑴ ■■■■■■■■■■ : el mar como tema de la modernidad en la pintura española, 1870-1936, Exh. cat., ⑷ 川瀬佑介「十九世紀ローマのスペイン人画家コロニーとホアキン・ソローリャ」佐藤直樹編『ローマ:外国人芸術家たちの都』(西洋近代の都市と芸術;1)、竹林舎、2013年、264-280頁。⑺ 川瀬、前掲書、275頁から引用。⑻ 幸野楳嶺(1844-1895)は陶器の絵付けや友禅の下描きなどの応用美術の教育に貢献した。当時の各種技術発達のために自分の画技が役立てられるように次々と画譜を出版し、意匠の参考資料として活用されたという。岩田由美子「画工楳嶺と京の工芸界」、『京都画壇巨匠の系譜幸野楳例とその流派』滋賀県立近代美術館・京都新聞社、1990年、104-105を参照。『楳嶺百鳥画譜』の発刊者である大倉孫兵衛はのちに陶磁器業を始め、現在の大倉陶園を創業した。創業100周年を記念して、幸野楳嶺の絵のある食器が作られている。⑾ 高木ゆみ子「狂歌と出典─“Trésors de lʻestampe japonaise SURIMONO(日本浮世絵版画の至宝 摺物”における狂歌の翻訳をめぐって─」、『東洋研究』第216号、令和2年、大東文化大学東洋研究所、令和2年(2020)、3-42頁と言ういくつかの示唆が導かれたのかもしれない。三浦篤が19世紀末には「ジャポニスムは落ち着いた受容と咀嚼の時代にすでに移行していた(注26)」というように、ソローリャ作品に全く日本版画の影響がないと言い切ることはできない。当時のソローリャもヨーロッパで広く受容されていたジャポニスムを多くの絵画から吸収し、自身の作品の中に展開したことは確かだろう。しかし、ここまでの調査の結果として、ソローリャが所持していた日本の版画と画家の作品には影響関係は認められず、画家は目の前にある風景を切り取り、持ち帰ることができる写真を作品制作に応用したと考えられるのである。Madrid: Fundación Cultural MapfreVida, 2000, P. 32を参照。⑵ ■■■■■■■■■■■■■■■, Exh.cat., Madrid: Museo Nacional del Prado, 2009, p. 74-75を参照。⑶ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Exh.Cat., London: National Gallery London, 2019, p. 144から引⑸ 同上、275頁から引用。⑹ Ricard Bru i Turull, “Ukiyo-e en Madrid: las estampas japonesas del Museo Nacional de Arte Moderno y su legado al Museo Nacional del Prado”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Tomo 29, Madrid: Museo Nacional del Prado, 2011, pp. 153-170を参照。⑽ 川瀬、前掲書、275頁参照。確かな入手時期は不明だが、摺物が1890年代に編まれたものとす⑿ ソローリャ美術館の文書管理担当ロサリオ・ロペス氏には、摺物や画譜をはじめとする鮮明な画像を送付していただいた。それらの資料をもとにして調査がすすめられたことに心から感謝用。 大倉陶園HP https://okuratouen.com/hpgen/HPB/entries/332.html を参照。⑼ 先に示した川瀬の論考には「日本の美術品2品」が所蔵されていると記されているが、今回の調査で「楳嶺百鳥画譜」の他に幸野楳嶺による「工業図式」の所蔵も確かめられた。るとソローリャが1900年か1911年にローマに滞在した折に手に入れたのかもしれない。― 147 ―― 147 ―
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