鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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(注8)。宝床台に横臥する釈迦を中心に描き、それを囲むように10人の比丘形と舞踏する胡人2人を配し、上方に雲に乗り飛来する摩耶夫人一行を表す、シンプルな構図の涅槃図である。とりわけ異様とされているのが背景の2本の樹木であり、一般に涅槃図に表される沙羅双樹とは明らかに異なり、井手氏はこれを極楽浄土に生ずる七重行樹と解し、本作においては涅槃の場面に極楽浄土のイメージが重ね合わされている可能性を論ずる(注9)。南宋時代には涅槃が死と再生の論理を重ね合わせる形で表現され、やがて明清時代になると道仏習合の過程で涅槃に不老長生を重ねる形へと変容していくという、中国の涅槃表現の変遷の中に本作を位置づける。地蔵十王図は、十王図の図像によって3系統に分けることができ、表1に示した通りである(注10)。A系統の奈良博本は画風が繊細かつ精緻で、肉身部や衣の暈取りも自然な表現であり、他の「陸信忠」十王図と一線を画す〔図4〕。各幅に「慶元府車橋石板巷陸信忠筆」との墨書落款があるとされてきたが、疑問の残る点があり後述する。B系統〔図5〕は最も多いが、図像の細部に若干の相異もある。C系統の京都・六波羅蜜寺本〔図6〕は、以上の2系統と共通する部分もあるが、多くの要素を追加した図像である。「陸信忠」作品以外では、陸仲淵筆の奈良博本、および高麗から朝鮮時代(14~15世紀)とされる滋賀・西教寺本が同図像である。B系統とモチーフの組合せや位置に異同があることに加えて、五官王図の舌を伸ばされ犂で責められる亡者、変成王図の火車や石臼、泰山王図の釜等、A・B系統にないモチーフも混じる。いずれの図像も南宋から元時代(12~13世紀)に制作された十王図、例えば金處士筆本、神奈川県立歴史博物館本、京都・大徳寺本、京都・誓願寺本等と共通する部分が多い。「陸信忠」十王図は、南宋時代に流行していた十王・地獄の図像を取捨選択して配置し、いくつかのパターンを作り出し、B・C系統には張大帝信仰の要素も付加していったと考えられる。2 崩された鳳凰円文高麗仏画では「円にかこまれた唐草文」が決まって用いられ、高麗仏画と他の作品とを区別するための登録商標のようであると指摘されるが(注11)、「陸信忠」作品にもロゴマークのように頻繁に使用される文様がある。仏涅槃図では、釈迦の袈裟〔表1-A〕、仏弟子の袈裟〔B〕、舞踏する胡人の上衣〔C〕等、尊種に関係なく衣部を飾る文様として使用され、全て金泥で描かれる。両翼と尾羽を広げた鳳凰を表す丸文と考えられ、頭や胴体、翼羽がかろうじて判別できるという程度に簡略化され、描か― 154 ―― 154 ―

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