名度を恃み、削り取った可能性も考えられる。ただ、使用されている文様はボストン本十六羅漢図と共通しており、「陸信忠」作品に一貫する、金属部分の描写に丹色・白色・金泥を塗り重ねる彩色技法を用いているため、やはり陸信忠と関係の深い陸某の制作であることは間違いない。陸家工房の文様や彩色技法を共有する環境にいた仏画師と考えるのが妥当だろう。さて、崩された鳳凰円文が「陸信忠」作品でどのように使い分けられているか、そのルールをまとめつつ、香雪本阿弥陀三尊像との関係を見ておく。表1には本稿で主に取りあげた「陸信忠」作品の鳳凰円文を、文様の精・略の度合によって並べてある。使い分けのルールとしては、主役たる尊像には崩しの少ない鳳凰円文を用い、周縁のモチーフに行くほど崩しが進んだ文様を使う。例えば、奈良博本仏涅槃図であれば、釈迦の袈裟には崩しの少ないAやBを描き、舞踏する胡人の衣服には簡略化されたCを使う。羅漢図では羅漢の着衣には細かい文様を描き、周囲の侍者等の着衣には簡素な文様を描く。十王図に省略の進んだ鳳凰円文しか表されていないのは、主役たる十王の着衣は、日月、雲気、山岳、星宿等という固定した文様があり、侍者や獄卒の着衣や持物にのみ鳳凰円文が使われているためである。このように、鳳凰円文の使用には確固たるルールが存在し、「陸信忠」作品にはそれを遵守する態度が見られ、統制された組織の姿が想起されてくる。そして、香雪本の阿弥陀三尊像には、大きく4種の鳳凰円文が使用されている。阿弥陀の袈裟には最も精緻なW、脇侍菩薩の裙にはわずかに崩したX、同じく内衣には簡略化されたYやZが金泥で描かれている。側面観の鳳凰という文様の原形への理解は、省略が進んでも保持されているように見える。また、外円に沿って円弧を列ねる形状は、ボストン本十六羅漢図のEに類似し、逆C字の中に下向きの弧線複数本を重ねる省略の進んだYもまたボストン本のFに見られる。このY・ZやFのような文様は、最終的に愛知・中之坊寺所蔵の仏涅槃図で使用される図9まで簡略化され得ると推測される。中之坊寺本は「明州江下周四郎筆」の落款から、寧波が明州と称された1194年以前の制作とされる。中之坊寺本には、このごく簡略化された鳳凰円文以外は使用されておらず、「陸信忠」作品のような段階的に崩された文様はみとめられない。香雪本阿弥陀三尊像は、段階的に崩された鳳凰円文を、原形を理解した上で使用し、さらに中尊の阿弥陀の袈裟には最も精緻な鳳凰円文を、脇侍の両菩薩の着衣には簡略化された鳳凰円文を、尊像の主・副の役割と描くスペースの大きさに合わせて選択して用いている。「陸信忠」作品との一致が大きい。― 157 ―― 157 ―
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