鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
177/712

1-2.《青と銀色のハーモニー トゥルーヴィル》と《海辺朝陽》の影響関係されてきた。春草と横山大観(1868-1958)の作品は、明治37年(1904)から翌年にかけての欧米遊学中に「ホイッスラー氏の晩年の絵の配色に大きく共通する」などと、現地のメディアに報じられ、すでに欧米においてもその近似性が指摘されていた。細野正信氏、田中日佐夫氏、佐藤道信氏(注2)らは、「欧米の絵画と共通する流れの中で展開したもの」とし、「同時代」に着目した見解を示したものの、具体的には論じられていない。近年では春草らの欧米遊学の動向〔表1〕が明らかとなり、春草と欧米の絵画との接点が具体的に示され、朦朧体とトーナリズムとの比較研究が多少なされてはいるものの、細野氏らが触れた問題についてはほとんど言及されていない(注3)。そこで、本研究では、欧米遊学中にホイッスラーの作品を見た春草が、トーナリズムを強く意識して朦朧体を展開させた、という視点で先行研究でも関連が指摘されてきた春草筆《海辺朝陽》〔図1〕とホイッスラー筆《青と銀色のハーモニー トゥルーヴィル》〔図2〕を対象に、朦朧体とトーナリズムの影響関係を再検討した。奇しくも、ホイッスラー筆《青と銀色のハーモニー トゥルーヴィル》は、春草らが欧米遊学期に交流を深めたイザベラ・スチュワート・ガードナーのコレクションであったため、春草らが本作を見た可能性が高い(注4)。本作は、ホイッスラーが1865年10月から11月まで滞在したフランス・ノルマンディのトゥルーヴィル海岸が主題である。砂浜の面積が海辺よりも広く、平面的な構図が志向されている。画面左には海を眺めている人物が配されている。この人物は、ギュスターヴ・クールベ〔Gustave Courbet〕(1819-1877)だとされる。1855年頃、ホイッスラーは、アメリカからパリに渡った際にクールベがレアリスムを宣言したのを目の当たりにし、その賛同者となった。しかし、1860年代になるとジャポニスムに傾倒し、次第にレアリスムからの脱却を試みる。一方、クールベは一貫してレアリスムの画家であった。そのクールベも、ホイッスラーと同時期にトゥルーヴィル海岸を訪れ、30点以上の油彩画を描いたとされる。その作品群〔図3〕と比較すると、とりわけ構図にクールベとの影響関係がみてとれる。しかし、同時にレアリスムの要素は感じられない。野上秀雄氏は、この時期のホイッスラーの作品について「レアリスムから脱却して、絵画を、色彩と形象のハーモニーを実現するオブジェとして考え始めていたのであるともいえる。それは、絵画を装飾的な作品としてとらえようとすることでもあり、― 164 ―― 164 ―

元のページ  ../index.html#177

このブックを見る