鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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2-2.琳派の影響れ、《ブナの森》〔図6〕などの、樹木図の一連の作品について以下のように言及している。まっすぐに伸びる樹幹が画面上下のフレームに切られていたり、根元のみあるいは樹の先のみが描かれたりという構成法は一般的にいって本来西洋風景画の伝統には見られない。しかし、風景という概念のなかった日本美術をふりかえれば、このような構図はしばしば見受けられる。とくに琳派の作例では、宗達の料紙装飾に始まり、光琳、孤邨、抱一、そして観山、春草まで見出すことができる。(中略)画面の奥行きよりも表面を意識した平面的な構成理論が重視された結果として現れる造形とみることができよう(注13)。しかし、以後の研究では大きな進展は見当たらない。同時代に近似した画面構成が発生した諸相については、今一度、再検討が必要であろう。以上のことから、これまでの先行研究をふまえ、《落葉》(永青文庫蔵 熊本県立美術館寄託)を軸に、その画面構成の特色を同時代の観点から見直してみたい。先行研究でも指摘されているように、《落葉》は、尾形光琳筆《槇楓図屛風》〔図7〕の画面構成との近似が想起され、近年では、池田孤邨筆《檜図屛風》〔図8〕や鈴木其一筆《夏秋渓流図》などの、江戸琳派の影響も示唆されている。例えば、三宅秀和氏は、孤邨の《檜図屛風》について「墨の濃淡とモティーフの配置によって、モティーフの相互の間とモティーフを包むように空間を作っており、確かに《秋木立》《落葉》の諸作に通じている」(注14)と指摘している。また、春草と同時代の日本画では、下村観山(1873-1930)の《木の間の秋》〔図9〕や《白虎》にも、近似性が認められる。観山の《木の間の秋》と《落葉》との違いを指摘するならば、樹木の根元を描いていない点にある。《木の間の秋》は、画面奥になるにつれて樹木が小さく配され、左から差し込む一定方向の光の描写が確認できる。つまり、合理的な奥行表現が試みられている。しかし、薄や蔦の葉脈には金泥が施され、樹幹には、たらし込みらしき技法が確認できる。特に、近景の薄や蔦は、酒井抱一筆《夏秋草図屛風》の装飾的な表現を彷彿とさせる。端的に述べると《木の間の秋》は、《落葉》よりも西洋絵画的で琳派的でもある。当時の状況を考慮すれば、春草は、観山の作風に触発された可能性が高いが、観山にしても、《落葉》制作以後― 167 ―― 167 ―

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