鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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2-3.ジャポニスムの影響の春草にしても、最終的には酒井抱一や鈴木其一などの江戸琳派の構図や装飾性をとり入れたことは間違いない。その背景には、明治期における琳派の評価が関係していると思われる。明治維新以降、岡倉が東京美術学校で講じた「日本美術史」講義によって、ある程度の美術史の体系が確立し、琳派は「光琳派」と称され、漸く概念が確立する段階に入った。岡倉が「日本美術史」講義を開講した明治23年(1890)には、『光琳百図』や『光琳百図後編』が刊行された。その後、岡倉が編集を務めた『国華』においても、宗達や光琳の作品が数多く取り上げられていく。続く明治36年(1903)には、帝国博物館での光琳特集により、《風神雷神図屛風》などが出品された。出版物では、『光琳派画集』(審美書院、田島志一編)が発刊された。そして、明治41年(1908)には、三越呉服店にて光琳祭が開催された。このような状況を鑑みると、明治期の画家は琳派に接触する機会を多く得ていたといえよう。さて、《落葉》を洋画と比較した研究は、五月女晴恵氏が詳しい(注15)。五月女氏は、黒田清輝(1866-1924)率いる白馬会の風景画と《落葉》を同時代の観点から分析した。氏の見解をまとめると、次のようになる。白馬会の明治30年代前半の作品には、山本森之助筆《松葉掻き》や白滝幾之介筆《林間の小路》〔図10〕のように、奥まってゆく地面に樹木を配した画面構成が多く確認できる。続く、明治30年代後半になると、黒田筆《落葉》〔図11〕のように、地面との接地点を露わにした樹木を、近景に配した作品が登場する。これらの作品は、俯瞰構図をとり、地面が手前に傾斜している。特に、黒田がフランス留学中に制作した《残雪》〔図12〕は、春草筆《落葉》〔図13〕の表現に極めて近似している。五月女氏によると、このような構図は、黒田がフランスで師事したラファエル・コロン[Raphael Collin](1850-1916)の風景画に多くみられるという。確かに、コランの《フラレアル(花月)》(1886)や《庭の隅》(1895)〔図14〕などは、地平線の描写にはほとんど意識が向けられていない。このような俯瞰構図は、彼に師事した黒田や久米桂一郎の作品にも確認できる。俯瞰構図に関して、高階秀爾氏はジャポニスムの諸相を交えて考察している(注16)。氏は、ルネサンス期に成立したアルベルティの幾何学的遠近法の伝統性が、ジャポニスムによって否定されたこと、その否定の諸相には、日本美術の特色の一つである俯瞰構図が関係していたことを指摘している。― 168 ―― 168 ―

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