鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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以上を整理すると、コランもジャポニスムの影響を受けた画家の一人に過ぎず、偶然彼に師事した黒田や久米も無意識にコランを通してジャポニスムの影響を受けた、という一連の諸相が垣間見られる。しかし、コランの場合、ジャポニスムといっても浮世絵の影響なのか、それとも琳派の影響なのか、といった詳細は不明である。いずれにせよ、高階氏はこれらの現象を「ジャポニスムの里帰り」(注17)と指摘している。すなわち、ジャポニスムの影響を受けて、日本美術の構図や造形を受容した欧米の画家、そして彼らに直接指導を受けた洋画家(日本人)たちへ再び回帰した、といった流れである。まさしく里帰り的な現象が起こっていたことは見逃せない。興味深いことに、黒田は、明治30年(1897)に、雑誌■■■■■■■■■■■■に「LA PEINTURE JAPONAISE(日本絵画)」という短い一文をフランス語で投稿し、国の風土が画家の思考に関係している限り、「「簡素」な線と「明快」な色彩をつねに愛することにしよう!レンブラントではなく、光琳になろうではないか!」(注18)と述べている。黒田が光琳を引き合いに出した理由は不明であるが、やはり琳派の装飾性や平面性を、日本美術の典型的な特色として捉えようとする意識は洋画家の黒田にもみられ、この時代における日本人画家の共通意識であったことがうかがえる。まとめ日本美術の特色の一つに俯瞰構図を取り上げた矢代幸雄氏は、「日本絵画は画面構成の原則としては鳥瞰図様も殆ど専制的なる支配を許し、ただこれを効果本意に変形按配して、端倪すべからざる芸術世界を形作らせたのであった。しかしてまた翻って思えば、広き天地を拘束なく眺望するがごとき鳥瞰図こそ、実にかくのごとき芸術的変形を自由自在に許容したのであって、その意味より、鳥瞰図をもって最も日本人好みなる装飾的自然観賞の図様と見なすこともできる」(注19)としている。また、こうした鳥瞰構図(俯瞰構図)の発展には、絵巻物の隆盛が起因したと指摘している(注20)。確かに、大和絵の代表的な画題「洛中洛外図」も、絵巻物と同様に上から見下ろす遠上近下の俯瞰構図がみられる。琳派も大和絵の伝統の流れを組むことから、俯瞰構図が主流となって発展したことが考えられる。しかし、春草にしても、黒田にしても、俯瞰構図が日本美術の特色であることを自覚していたかどうかは不明である。同時代の日本画や洋画、そして西洋近代絵画にまで《落葉》に近似した画面構成が見いだせる要因は、やはり、間接的な影響が国境を越えてサイクルし、自然発生的に起こった近代絵画の同時代性、いわば「共時的」な現象が起因していると言わざるを得ない。― 169 ―― 169 ―

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