鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⑰ 初期日本近代洋画の風景画に見られる名所絵の要素研 究 者:宇都宮美術館 学芸員  黒 木 彩 香初期日本近代洋画の「風景画」については、画家または作品毎に個別の事象として分析されており(注1)、中でも日本近代洋画の祖として位置づけられる高橋由一の風景画には、先行研究でも関心が払われてきた。油彩画でありながらそのほとんどが名所を描いた江戸期の浮世絵と構図において共通点があり、それは江戸時代の美意識に由来すること、そして題材とされた場所がいわゆる「名所」であるケースが多いことが指摘されている(注2)。しかし由一による風景画の中には《中洲月夜の図》〔図1〕のように構図や場所が名所絵的でありながら、明らかにこれまでの名所絵とは異なる特徴を併せ持つものがある。先行研究では構図と場所について類似があるために名所絵的である、という指摘に留まっており本作については特に触れられていない。ひいては画家の垣根を超えて、風景画として確立する途上の初期日本近代洋画の風景画が、近世の「名所絵」から何を受容して何を受容しなかったのか、そのつながりに着目して一ジャンルとして分析した研究は管見の限り存在しない。本論は高橋由一《中洲月夜の図》を中心に、名所絵が初期洋画にどう継承された、もしくはされなかったのかについて考察する。1.名所、名所絵について国史大辞典において名所は「歌枕として知られる景勝の地を描いた絵画。(中略)これらの名所絵は四季絵同様、その名所を詠んだ和歌が画中の色紙形に能書家によって書かれ、絵・和歌・書が合わせ鑑賞された」と定義されており(注3)、和歌の存在が前提であったことをここで改めて確認しておく。千野香織氏は「狭義の歌枕としての名所は、ある特定のイメージと結合した地名でなければならなかった。本歌とも見做されるべき著名な秀歌に詠まれ、或いは古来多くの歌に詠まれて特定のイメージと結合した地名だけが、名所歌枕と呼びえるものなのである」と述べている(注4)。例えば五重塔と鹿の組み合わせは奈良を意味し、鹿の代わりに舞妓の立ち姿に置き換えれば京都と理解される、という樋口穣氏の例示からわかる通り(注5)、名所絵では実景を写実的に描く必要はなく、定型のモチーフによって特定の土地を示すという約束に基づいて描かれるものであった。葛飾北斎や歌川広重によって19世紀に確立された風景を描く浮世絵版画の作品群は、近世の風景画の代表格であり特に歌川広重によるシリーズ「東海道五十三次」は典型的な名所絵として挙げられる(注6)。これ― 175 ―― 175 ―

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