鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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子が異なる。よって本作が当時の中洲をどの程度忠実に描き出しているかについては一考の余地がある。つまり画面構成の段において由一は、実景に即して描き写したというよりは、恣意的にこれらのモチーフを配置していったと考えるのが妥当だろう。「浮世絵の空想世界を現実世界に引き戻す」という由一の目的達成のためには、まず第一に、描かれたこの場所が中洲であることを観者に認識させる必要がある。浮世絵のように画中の短冊や枠外に文字で画題を記載することを封じられた状況で由一が頼るものは、名所「中洲」の定型モチーフ(月、舟、洲)であったことだろう。そのため個々のモチーフのレベルでは写実性を追求しながらも、画面全体の構成というレベルにおいては、定型モチーフを描くことから逃れられなかったことが推察される。この配慮により、観者は描かれた場所がイメージによって慣れ親しんだ「中洲」だと理解すると同時に、その本物らしさを目の当たりにする驚きもまた味わうことができたのだろう。従来の名所絵とは対照的に現実らしさを追求しながらも、名所絵を成立させる基本的なルールである定型モチーフの使用を行っており、一見相反する性質が共存している。そして中洲を必ずしも月見の名所として描く必要はなかった状況で、由一があえて夜景・月見の様子を描いた理由を考える際に無視できないのは、夜景表現の流行である。明治10年代、多くの日本人洋画家がロウソクや行灯の灯る夜景画を競うように描いた。従来、日本ではロウソクや行灯、月などを画中に描くことで形式的に暗闇を表していたが、やがて黒色を用いて直接的に闇を表現する手法が西洋からもたらされた。これにより、闇は日本画や浮世絵に対する油彩画の優位性を示す格好の題材となった(注25)。本作もこの流行と無縁ではないだろう。浮世絵版画である〔図5〕が光源(照明)を備えた舟や建物を描きこんでいるのに対し、本作は月以外の光源が排除され、極めて劇的な明暗表現が行われている。歓楽街としての賑わいが失われたとはいえ極端に人が少なく、たった一隻のみ描かれた小舟に乗る3人の姿さえ完全な逆光となり、表情やしぐさが読み取れないことは、由一の主眼が夜景表現にあったことを示しているようにも思われる。当時の中洲は、由一を魅了した西洋由来の新手法を試みるには理想的であったのかもしれない。おわりに本稿では、初期日本近代洋画の風景画が「名所絵」から何を受容して何を受容しなかったのか、そのつながりについて画家の垣根を超えて分析することを試みた。その結果、伝統的な定型モチーフや構図を用いない事例には由一作品が多いのではないか― 180 ―― 180 ―

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