に多大な影響を与えた老画家と密な交流を重ねた(注3)。そうした中で制作された本作は、ルソーが実際にモデルとなる二人を幾度もアトリエに呼び、サイズを測りながら忠実に描くという手法がとられたものの、完成作ではローランサンは実際より重厚感のある体格で表現された(注4)。なぜローランサンとアポリネールが神話世界の登場人物として描かれたのかについては、報告者がこれまでに行なった考察において、同時期にローランサンが多く手がけていた神話主題作品との影響関係を指摘している(注5)。アルテミス、ディアナなどの存在に惹かれたローランサンは、ルソーの肖像画以前から、同主題作品をいくつか手がけていた。これをルソーが目にした可能性は高く、ルソーによるローランサンの表現に少なからず影響を与えたことは容易に想像できる。1909年、《詩人に霊感を与えるミューズ》第2ヴァージョンが一般向けに公開されると、目にした人々はすぐにモデルを理解したといい(注6)、これはアポリネールに霊感を授ける女性としてのローランサンの固定した評価が築かれる所以ともなった。しかし、本作における神話主題の選択の背景に、二人の芸術家の相互作用がみとめられる点は重要である。2 ラブルール《マリー・ローランサンの肖像》(1914年)次に描かれたローランサンの肖像画として、版画家ジャン=エミール・ラブルール(1877-1943)による作例がある。地方都市ナントのブルジョワ家庭に生まれたラブルールは、1900年代初頭にはパリやニューヨーク、ロンドンなどを頻繁に旅していた(注7)。1911年のパリ滞在中には、サロン・ドートンヌやサロン・デ・ザンデパンダンに初めて参加する。ローランサンとは1912年の春の終わり頃に、パリでアポリネールを通じて知り合ったとされる(注8)。以降、二人の間では頻繁に手紙が交わされ、その内容は友人や家族について、あるいは日常の些細な事柄についてなど多岐にわたった。ラブルールの《マリー・ローランサンの肖像》〔図2〕は、絵筆を手にカンヴァスに向かうローランサンの姿を捉えた作品である。画中画として登場する《優雅な舞踏会》〔図3〕は、1913年のサロン・デ・ザンデパンダンで、ローランサンがこの年唯一出品した大作であった。《優雅な舞踏会》制作の過程で、ローランサンは幾度か構図の変更を試みたが、ラブルール作品では完成作と同様に二人の人物と天蓋らしきモティーフの一部が描かれており、これは制作の終盤をあらわしているのだろう(注9)。またよく見ると、《優雅な舞踏会》の画面内に描かれていた扇や花を、ラブルールは絵を描くローランサンの傍に画面を飛び越えて配している。詩的な世界を描くローランサンをあらわすように、現実と絵画空間の境界線が曖昧に処理されている― 198 ―― 198 ―
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