鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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こでは、家庭を顧みなかったというドイツ人夫の存在が示唆され、バルセロナで不遇の時を過ごす画家の状況をうかがわせるとともに、ローランサンの愛称でもあるココという表現からはピカビアによる親しみが感じられる(注13)。ローランサンは、スペインで親しくなったピカビア夫妻を、はじめはよく知らなかったものの、徐々に優しい存在として認識するようになったという(注14)。ローランサンを機械として表現した背景には、ピカビアがローランサンの明るく清々しい性格と、新鮮な風を取り込む換気扇という機械を重ね合わせたことが指摘されている(注15)。無類の車好きとしても知られるピカビアは、ニューヨークでの日々をきっかけに、現代社会における機械のあり方にいっそう強い興味を抱き、1915年頃から友人たちを機械になぞらえて描く作品シリーズを展開した。ピカビアは生涯を通じて一つの様式に固執せず、様々な作風を生み出したことで知られるが、特にこの時期は「機械の時代」と呼ばれるほど、機械というモティーフに心酔していた。サロン・キュビストであるアルベール・グレーズの妻ジュリエット・ロシュは、同様にピカビアに機械として描かれているが、ピカビアがこの種の擬似肖像画を重要視し、またモデルに非常によく似ていると認識していたことを後年回想している(注16)。《マリー》にみられる明瞭な線描と正面観の構図は、例えばアメリカで1868年の刊行以来1916年時点で第22版となっていた、ヘンリー・T・ブラウンによる『機械の507の動き』の図版などと類似がみられる〔図6〕。本書は、力学的動作の仕組みを簡潔な文章と絵で解説したもので、難解な数式などをほとんど用いない、実用的な参考書としても有用な書籍であった。また近い時期にピカビアは、1920年3月の『391』第12号表紙にもなった《聖処女》〔図7〕で、黒いインクの染みだけで主題を想起させるという挑発的な作品を発表するが、これは同時期に開発された、インクの染みを見た被験者がそこから何を想起するか検証する、心理学のロールシャッハ・テストに影響された可能性が指摘されている(注17)。つまりピカビアは絵の中で、本来モティーフが有していたはずの意味を排除し、観る者の視点を介してまったく別のイメージを生み出させるという手法を、この当時好んで採用していた。ローランサンの肖像画においても、換気扇という機械から本来の用途を奪い、身近な人にだけ意味が伝わるような仕掛けを施すことで、誰もが予想し得ない方法で新たな肖像画を鑑賞者に提示していると考えられる。4 エルンスト《さらばマリー・ローランサンの美しき世界》(1920年)他にも、機械に擬して描かれたローランサンの例として、マックス・エルンスト― 200 ―― 200 ―

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