鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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(1891-1976)による《さらばマリー・ローランサンの美しき世界》がある〔図8〕。本作では、戦車の無限軌道のような足元をもつ機械が、最上部に六芒星を冠した構図で描かれる。全体が正面から捉えられ、設計図のように細かな書き込みがなされた機械の表現は、ピカビアによる肖像画とはやや異なる。ジャン・アルプは、ある時ピカビアがホテルの部屋で時計を分解し、インクを付けた各パーツを使って《目覚まし時計》〔図9〕を仕上げたという工程を、エルンストが一緒になって眺めていた様子を証言している(注18)。これは、エルンストが同時期に印刷屋で手に入れた雑誌をもとに拓本を作り、自らの制作に活用していたのと同様の手法であると指摘されている(注19)。このように当時エルンストとピカビアは、ダダイズムへの傾倒とあわせて、確かに機械への関心を共有していた。また先行研究では、《さらばマリー・ローランサンの美しき世界》が制作された背景に、エルンストがフランスでビザを取得する際にローランサンの手助けを受けた出来事がしばしば関連づけられる(注20)。画面内で機械の傍に書かれたフランス語「au secours!!!」、さらに下部にあるドイツ語「Hilfe! Hilfe!」は、いずれも助けを求める叫びの言葉であり、動乱の最中で困窮したエルンストの境遇を暗示するようである。ともに機械と人間の関係性に興味を抱いた二人の芸術家だが、とりわけ機械に愛着をもっていたピカビアは、例えば機械を描いた複数の作品に《母なしで生まれた娘》〔図10〕と名前を与え、まるでそれが女性として性別を有する存在であるかのような表現を試みた。また歯車が噛み合う様子や、機械が何かを排出しようとしている伸縮運動などを描くことで、人間の男女間の愛を想起させるという仕掛けを多くの作品に仕込んだ(注21)。しかし、ピカビアやエルンストによるローランサンの肖像画は、いずれもモデルの人柄や、個人的な背景に着眼して制作されたものであった。外部からの評価を求めて制作された作品でない点、また一見難解な機械の擬似肖像画という性質から、従来積極的な解釈が行われてこなかったものの、これらは前衛芸術家たちが趣向を凝らした技法でローランサンの姿を生き生きと捉えた、重要な作例として改めて指摘できるのではないだろうか。結びに本論ではローランサンをモデルにした主要な作品について、その内容や制作背景に考察を加えた。紙幅の都合上、各作品の制作後の展開やローランサンがみせた反応に関する議論は別稿に譲ることとするが、本論で取り上げたいずれの作例も、ローランサンという画家に同時代の芸術家たちが向けた視線を読み解く助けとなったといえ― 201 ―― 201 ―

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