注⑴ 例えば近年も、日本のマリー・ローランサン美術館館長によって、ローランサンの交友関係に焦点を当てた書籍が刊行された。吉澤公寿『マリー・ローランサンとその仲間たち』幻冬舎、2022年⑶ 「洗濯船」とローランサンについて、当時ピカソの恋人であったフェルナンド・オリヴィエによる以下の文献が詳しい。Fernande Olivier, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Paris: Pygmalion, 2001 (1933)(フェルナンド・オリヴィエ『ピカソと其の周辺』益田義信訳、筑摩書房、1942年)⑵ 「洗濯船」をめぐっては主に以下を参照した。Jeanine Warnod, ■■■■■■■■■■■■■■■■, Paris: Mayer, ⑷ 以下の小論を参照されたい。山田茉委「《アポリネールとその友人たち》にみるマリー・ローランサンのキュビスム受容」『WASEDA RILAS JOURNAL』第6号、早稲田大学総合人文科る。あわせて、象徴主義の画家エドモン=フランソワ・アマン=ジャン(1858-1936)による《マリー・ローランサンの肖像》〔図11〕も、上記の系譜に連なるべき作例として触れておきたい。本作品は人物の表現方法から、ローランサンが終戦を経てパリへ帰還した1920年代の作と推察される。本調査研究の過程では十分な資料が入手できず、確たる結論を導き出すことができなかったものの、本作が真にローランサンの姿であるとすれば、報告者の知る限りでは非常に数の少ない、1920年代以降のローランサンの肖像画となる。これについては引き続き調査を進めたい。ローランサンは、象徴主義やキュビスムをはじめとする、多様な同時代の芸術動向に接近をみせる一方で、決して一つのグループに落ち着くことなく、多くの要素を吸収することを続けた芸術家であった。そしてまた本論で取り上げたローランサン以外の芸術家も、皆異なる芸術のスタイルをもつ多様な顔ぶれであった。書簡などの文字情報に加え、肖像画作品の解釈を通じてローランサンの姿を捉え直すことで、一人の芸術家を作り上げる諸要素の一端がみえてくるといえよう。付記本調査研究における作品および資料調査にあたり、ナント美術館学芸員Salomé Gilles氏、同美術館図書室司書Mikaël Pengam氏、フランス国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)学芸員Valérie Loth氏、同美術館研究員Maximilien Theinhardt氏、ニューヨーク近代美術館アーカイブ室アーキビストの皆様に、貴重なご助言をいただくとともに、格別のご高配を賜りました。また画像の掲載に際しては、各関係機関よりご協力を賜りました。末筆ながら、ここに記して深謝申し上げます。1986(ジャニーヌ・ワルノー『洗濯船 20世紀美術の青春』集英社、1977年)― 202 ―― 202 ―
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