鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⑳ 茨城県における聖徳太子の信仰と造形に関する研究研 究 者:茨城県立歴史館 学芸員  蔀   政 人はじめに常陸と北下総から構成される茨城県の中世宗教史を考える上で、建保2年(1214)頃の親鸞下向と、建長4年(1252)の忍性下向は見逃せない出来事である。真宗と律宗は中世の聖徳太子信仰の一翼を担った存在であり、当地域における両宗の展開と相まって県内には太子関連の作例が彫刻・絵画問わず多数存在している。茨城県の太子関連作品の中には、例えば坂東市・妙安寺所蔵の聖徳太子絵伝のように現在真宗寺院に伝来するものの、描かれた石工や四天王寺亀石の存在から石造物を重視した西大寺流律宗の関連が指摘されている作例がある(注1)。こうした近年の研究状況を踏まえたとき、作品個々の研究から改めて当県の聖徳太子信仰の総体を捉え直す作業が重要となる。本研究では、聖徳太子関連の絵画作品に焦点を当て、描かれた図様の内容から、製作主体や思想背景について探ることを目的としてきた。本報告書では、研究段階で再確認された茨城県南東部に位置する神栖市・東漸寺所蔵の聖徳太子略絵伝に着目し、当県の太子信仰と造形の一端を見ていく。1 東漸寺本聖徳太子絵伝の概要と図様茨城県神栖市東漸寺に伝来する聖徳太子略絵伝(以下、東漸寺本)〔図1〕は、縦81.8cm、横41.5cmの画面をもつ紙本著色画である。人物札銘に基づき内容を確認すると、上部向かって右側に笏を胸前に掲げて虎皮上に立つ用明天皇、上部向かって左側に金色聖僧と床に伏す皇女、その下部に屏風を背にして上畳に立つ聖徳太子と、同じく上畳に坐す乳母が描かれ、この太子を拝す「小野妹子大臣」「馬子大臣」「蘇我大臣」「白済縛士学哿(ママ)」の四侍臣が配される。上記を踏まえて東漸寺本に描かれた場面を整理すると、執笏の用明天皇については明確な場面比定ができないものの、入胎、二歳、三十五歳の様相が描かれており、本図は聖徳太子の事績のうち一部を抽出して描いた、いわゆる聖徳太子略絵伝の部類に属するものと見られる。本図については、平成13年に茨城県が実施した県内寺社文化財の悉皆調査において確認されているが、本研究において改めて調査を行ったところ、東漸寺本は大阪・四天王寺に伝来する聖徳太子略絵伝(以下、四天王寺本)〔図2〕と同一の図像である― 208 ―― 208 ―

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