注⑴ 瀬谷愛「中世律宗絵画試論」(『東京国立博物館紀要』57号、東京国立博物館、2022年)⑵ 渡辺信和「聖徳太子の伝記と絵伝と」(『聖徳太子絵伝が語るもの─聖徳太子のものがたり─』⑶ 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫『中世聖徳太子伝集成』第四巻 山田本、勉誠出版、2005年、⑸ 津田徹英「中世における聖なるかたちとしての童子形聖徳太子像とその機能」(『「テクスト布置の解釈学的研究と教育」第4回国際研究集会報告書』日本における宗教テクストの諸位相と統辞法、名古屋大学大学院文学研究科、2008年)。聖徳太子から生じた舎利における三国伝来性についても津田氏の見解に大きく基づいた。⑷ 聖徳太子を勝鬘夫人の転成とみる思想は、顕真撰『太子伝古今目録抄』における「弘法大師者、昔為勝鬘夫人、又於大唐衡山為恵思禅師、又於日本国為聖徳太子」という記述にも見出せる。(『大日本仏教全書』112冊 聖徳太子伝叢書、名著普及会、1984年)⑹ 細川涼一「筒井浄妙と入定塚」(神栖町史編さん委員会『神栖町史』上巻、神栖町、1988年)⑺ 堤禎子「常陸・北下総における律宗教団の痕跡」(『鎌倉』鎌倉文化研究会、1991年)⑻ 細川涼一「延方普門院の船越地蔵と忍性」(『女性歴史文化研究所紀要』2号、京都橘女子大学⑼ 瀬谷貴之「(作品解説)23 如意輪観音菩薩坐像」(『忍性菩薩 関東興律七五〇年』神奈川県⑽ 網野善彦『里の国の中世 常陸・北下総の歴史世界』平凡社、2004年⑾ 菊地勇次郎「佐久山方と醍醐寺末の真言宗」(『茨城県史』中世編、茨城県、1986年)⑿ 注⑺堤論文参照⒀ 注⑾菊地論文参照⒁ 瀬谷貴之「中世律宗の聖徳太子信仰とその造像─ハーバード美術館南無仏太子像を手がかりと⒂ 注⑴瀬谷論文参照題としたい。飯田市美術博物館、2001年 瀬谷愛「中世聖徳太子絵伝における南無仏太子説話の図像」(『南無仏太子像の研究』中央公論美術出版社、2023年)23頁下段~24頁上段歴史文化研究所、1994年)に全文掲載あり立金沢文庫、2016年)して─」(『ハーバード美術館 南無仏太子像の研究』中央公論美術出版、2023年)― 215 ―― 215 ―
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