鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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各帖の表紙には、法華経信者を護持する十羅刹女を一人ずつ配する(注3)。これに対して、本紙に描かれる絵画は世俗的な画題が中心で、貴顕の恋愛や庶民の日常生活、動植物の姿などが描かれる。よって、装飾経巻の見返しに見られるような宗教的絵画は、表紙の十羅刹女のみが該当すると言え、作品全体として経文と絵画の内容に乖離のある点が特色である。保存状態は、平安時代後期の作品としては良好で、顔料の剥落が少なく、制作当時の色鮮やかさを伝えている。後補も一部を除いてほとんど認められない。2 扇面法華経冊子の制作状況について2-1 先行研究本作品の下図に使用された木版をめぐる問題については、福地復一氏(注4)に端を発し、様々な論考において言及されてきた。そのなかで木版使用の根拠として挙げられるのは、複数の場面において同一図像が反復されていること〔図1、2〕、また観普賢経扇1「山荘に管弦を奏する男女」(注5)の剥落部分において木版の露出が見られることである〔図3〕。それに対して、反復する同一図像の細部には相違があるとして、木版使用自体に疑問を呈する意見(注6)もある。木版の使用に同意する論考でも、構図全体が一つの版であるのか、部分的な版木を寄せ集めた活版であるのかという問題について議論が行われ(注7)、木版使用の様相に関する見解には幅がある。また、木版使用の目的としては、大量生産の必要性から用いられたとする主張(注8)がある。かかる研究に対し、秋山光和氏は、現存作例の全場面を詳細に観察することで、それぞれの下図の技法を確認し(注9)、肉筆27葉(以下、A類)、木版27葉、肉筆と木版を併用する5葉に分類した。木版下図については、雲母の地塗りの下に版を施すB類と、上に版を施すC類に分かれるという。さらに同一図像の反復について9種の図柄を精査すると、一方に肉筆、もう一方に木版の用いられるケースがあり、同一図像が木版で繰り返される場合は、それぞれ別版であると述べている。また同氏は、同一図像においては肉筆下図よりも木版下図の方に原初性があると指摘した。加えて、本作品は「つくり絵」のように画面を顔料で覆う画法ではないため、最初から決定的な構図で下図が描かれており、肉筆下図においては「原図」を透き写しした可能性があると推察した。こうした秋山氏による考察を受けて、江上綏氏は、一つの場面の中で肉筆と木版を併用するものが5葉しかないこと、またB類とC類を併用した場面がないことなどを― 218 ―― 218 ―

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