A類では、自由な筆致で描くことが可能であったにも関わらず、人物モチーフについては、版下絵の絵師が手がけた原図の型を積極的に踏襲していることが推定された。このことから察するに、本作品の制作においては、とりわけ人物モチーフについて、型通りに描くことが原則だったのであろう。そのように考えると、木版下図のほかに肉筆下図が存在することについて疑問が生ずるが、たとえば工房や制作グループの違いなどにより、手元に特定の版木が無い場合に、絵手本となる原図を透き写した状況が想像される。したがって、本作品における木版使用の目的は、先行研究で指摘される大量生産や技法上の贅沢というより、モチーフを型通りに描くことにあったと推察される。い。秋山氏は、反復する同一図像の一方に肉筆、もう一方に木版の用いられるケースがあり、また同一図像が木版で繰り返される場合はそれぞれ別版であることを指摘した。この結果をもとに、江上氏は、本作品における木版は大量生産が目的ではなく、むしろ手の込んだ手法として採用されていると述べている(注11)。筆者もその意見に同意するが、木版使用の理由が手間を省くためではないならば、他にどのような目的が考えられようか。3 年中行事絵巻にみられる図様転用本章では、同時代の「年中行事絵巻」において、本作品と類似した図様が見られる事例を紹介するとともに、その図像借用の仕方について考察を試みる。なお、「年中行事絵巻」の原本は失われているため、ここでは江戸時代の模本と比較する。鈴木敬三氏は、観普賢経扇5「雪の日の大饗」を「年中行事絵巻」の大臣大饗の尊者来臨の図に参看し、殿舎や殿上の打出し、梅の木などの配置から、東三条殿の南庭における大臣大饗での主客損譲のさまが描かれていることを指摘した(注12)。こうした指摘は、同場面の状況を特定するうえで重要であるが、両作品における図像の伝播の問題に関しては踏み込んではいない。また同書の場面解説においても、巻六扇3「牛に荷車を曳かせる男」に「年中行事絵巻」と近似した図様のあることが示唆されるが、作品同士の関わりについては具体的に言及されていない。あらためて「年中行事絵巻」と本作品との図様を比較すると、上記のほかに二場面ほど類似した図様を見出せる。一つ目は、巻一扇9「文を読む公卿と童女」〔図15〕である。同場面右側の冠直衣姿の男性は、染料で染められ何枚か重ねられた料紙を両手で持ち、体全体と首を大きく右側に倒して料紙に見入っている。これは「年中行事絵巻」の蹴鞠の場面〔図16〕― 221 ―― 221 ―
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