鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ 加藤悦子「『春日権現験記絵巻』研究」『美術史』130号、1991年。五月女晴恵「『年中行事絵巻』に見える『信貴山縁起絵巻』からの図様転用について─その転用態度に現れた『信貴山縁起絵巻』の性格─」『美術史論叢』23号、2007年。五月女晴恵「『平治物語絵巻』と『橘直幹申文絵巻』に見える『年中行事絵巻』からの図様転用について」『美術史論叢』30号、2014年。⑵ 秋山光和・鈴木敬三・柳澤孝『扇面法華経の研究』(東京国立文化財研究所監修『扇面法華経』が、これらの絵巻に類似した図様は確認されなかった。本作品は、当時の彩色を色鮮やかに残しており、その保存状態に鑑みるに、制作後すぐ奉納され、長らく閉じられた状態であったと推察される。鎌倉時代以降、長らく図様の伝播が確認されないのは、そうしたことに起因するのであろう。それゆえ、「年中行事絵巻」にのみ図様の類似がみられるという点で、本作品の制作環境が「年中行事絵巻」と近いところにあった可能性も考慮されてよいだろう。おわりに本研究では、12世紀におけるやまと絵の典型図様の形成について検討する一助とするべく、「扇面法華経冊子」の制作状況および周辺作例との影響関係について考察を試みた。まず本作品内部の図様の比較によって、肉筆下図が原図を踏襲していること、かつその原図は版下絵を手がけた絵師によるものであることを指摘し、木版使用の目的がモチーフを型通りに描くことにあったと推測した。加えて、本作品と「年中行事絵巻」に類似した図様がみられる事例を紹介し、その引用の仕方を分析することにより、両作品に共通の粉本が存在したこと、また制作環境が近いところにあった可能性を提示した。「年中行事絵巻」の制作においては、同時代の人々の風俗を描き出すため、より多くの絵手本を必要としたはずである。すでに「年中行事絵巻」に「信貴山縁起絵巻」(朝護孫子寺)からの影響が指摘されているように(注13)、老若貴賤の活き活きとした図様は、制作において参照すべきものとして認識されていたのであり、「扇面法華経冊子」にみられる図様もそのひとつであったと言える。一方、両作品に共通する粉本の存在について、その実態について踏み込むことはできなかった。同時に、本研究で示唆した制作環境については憶測の域を出ず、今後この問題についてはさらなる考証が必要となる。引き続き、12世紀におけるやまと絵の図様転用にかかわる複数の事例を整理することで、この問題について考察してゆきたい。― 223 ―― 223 ―

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