鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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1934年に刊行された『フランス絵画』のなかでジャモが明言しているこの持論は、本展の序文においても貫かれている(注16)。17世紀から19世紀までの三人の画家たちは、それぞれ得意としたジャンルを異にしているものの、セザンヌの制作したあらゆるジャンルの作品が一堂に会した本展は、彼らとの繋がり、すなわち歴史の連続性を裏付けるための格好の機会であった。セザンヌの静物画のいくつかはシャルダンのそれと同じくらい豊かであり、農民の人物画のいくつかはル・ナンのように厳粛かつ感動的であり、風景画のいくつかはコローのように自然であり、構築されている(注14)。というのも、ここに名前の挙がる画家たちは、フランス美術の連続性を主張するうえで、ジャモがもっとも重んじた三人であったためである。だが言ってみれば、率直な芸術家によるこの系譜ほどフランス美術におけるフランス的なものはない。才能あるいは天性が何よりもまず誠実な魂の発現であり、かつてギリシア人たちがそうしたように、美と善が同じものであるのを再発見する者たち、ル・ナン、シャルダン、コローである(注15)。風景画─コローとセザンヌ本展はふたつの大まかなグループから構成されていた。1875年以前とそれ以降というものであり、前者から後者への移り変わりを象徴する作品として展示されていたのが、第1回印象派展の出品作として名高い《首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ》〔図2:出品番号26〕である(注17)。「コローの精神に即した優れた風景画[……]彼が印象主義の最高点に達したのはおそらく、《首吊りの家》においてのことである。」(注18)というかたちで、カモンド・コレクションの傑作であるこの作品に言及するうえで、ジャモはジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot, 1796-1875)の存在をほのめかしている。音楽に熱中する大きな子供であったコローが、「小さな歌」について語るのを好んだのは事実である。このことは、しきりとセザンヌの話題にあがることの多い「小さな感覚」を思い起こさせないだろうか?私たちがモデリングと言うところにおいて、セザンヌに転調という動詞を使わしめたのは、彼の芸術に備わった音― 230 ―― 230 ―

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