鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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『ラ・ルネサンス』誌の特集号では、セザンヌに「慎ましさ」はなく、「善良なるコローにまったく似ていない」(注20)としながらも、音楽を根拠としてふたりの画家をいささか強引に結びつけるジャモの見解が示されている。とはいえこの主張は、一貫した歴史の延長線上にあらためてセザンヌを接ぎ木するうえで、なくてはならないものであったのだろう。楽的な響きについての天分でもないだろうか(注19)。静物画─シャルダンとセザンヌセザンヌによる筆触分割の独自性がジャン=バティスト・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699-1779)の技法と比較されたのもまた、《首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ》をめぐってのことである。ときの優れた目利きたちが、シャルダンと彼の描法について伝えていることを思い出してみよう。「筆触分割」という公式はいまだに発明されていなかった。しかし、セザンヌが印象主義者であったころに用いたものにきわめて似通った実践のような、別々の筆触については以前から伝えられている。シャルダンの絵画のなかにこれらの別々の筆触はもはや見られない。目に映り称賛されるのは、諸要素がいまや統一された壮大なアマルガムである。それは、これらの筆触がピサロのような細いものではなく、《首吊りの家》の時期におけるセザンヌのような太いものであったためである。シャルダンに似ているのは静物画の作者としてのセザンヌではなく、画家としてのセザンヌなのである。 このように、印象主義者の理論と密接に関連した絵画において、すでにお気づきのようにセザンヌは、容赦のない緻密な分析家であり、分析から統合を生み出したすえに、視覚がどれほど複雑であり手段がどれほど独特で入り組んでいても、古典的な理想に不可欠な特性であるこの単純さ、力強さ、統一性を実現する天分を備えている(注21)。ところで、ジャモの主著である『フランス絵画』(1934年)は、1932年にロンドンで「フランス美術 1200-1900年」展が開催された際に『バーリントン・マガジン』誌上に英語で発表された論文の仏語版であった。ジャモの手掛けた「フランス美術 1200-1900年」展は、フランス絵画によって通史を構成した初めての企画(注22)と― 231 ―― 231 ―

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