1991)である(注27)。中世美術史にも造詣の深いステルランが、客観的で体系的に作品を記述しながら関連文献を詳細に列挙するうえであまりある貢献を果たしたのは、エクス=アン=プロヴァンスでの現地調査やルーヴル美術館における模写の実態調査を行ったジョン・リウォルド(John Rewald, 1912-1994)(注28)、そしてセザンヌについてのカタログ・レゾネの出版を控えたリオネッロ・ヴェントゥーリ(Lionello Venturi, 1885-1961)(注29)であった(注30)。ジャモの方針を基調としながら、ステルランが独自の主張を展開しているのは、『ラ・ルネサンス』誌の特集号においてのことである。「自然に即してプッサンをやり直す」とは、ベルナールやジョアシャン・ガスケ(Joachim Gasquet, 1873-1921)などの信奉者が語り継いできたセザンヌと古典主義を結びつける常套句(注32)である。この定型をひるがえってルイ・ル・ナンに当てはめることでステルランが声高に主張しているのが、「文化の連続性」である。高貴さが間違いなく、じかに感じとった精彩な「真実」を包み込み、育んでいる偉大なる構図のノスタルジー─「自然に即してプッサンをやり直す」と彼はしきりに繰り返してはいなかったか?─をセザンヌに引き起こしたのがプッサンであったのならば、セザンヌを魅了したのは、見た目のうえでは古典的な形式とほとんど変わることのない、17世紀フランス美術におけるもうひとつの形式である。その厳粛な人間性、その表現力にあふれたぎこちなさにおいて、私が考えているのは、ル・ナンによる農民の場面である。マチュー・ル・ナンの《カード遊びをする人たち》〔図5〕は、セザンヌの作品のなかで直接の反映が認められる、エクス美術館におけるほとんど唯一の絵画である。[……]文化の連続性とその統一性も明白である。エクス人とラオン人の気質は平等なものとなり、そこには深遠なる人文主義の態度や人生における自然でさりげない友情といったラテンの刻印が残されるばかりである。[……]風俗画におけるこのように壮大で純真な配置、そして観察によるレアリストでありながらも精神のうえでは古典主義者であること、これらはル・ナンやジョルジュ・ド・ラ・トゥール、トゥルニエ・ド・トゥールーズ、シャルダン、そしてセザンヌといったフランスの画家に固有のものでしかない。ルイ・ル・ナンほど「自然に即してプッサンをやり直した」者がほかにいたのであろうか(注31)?― 233 ―― 233 ―
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