鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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水浴図─プッサンとセザンヌ17世紀のフランスにおける古典主義の正統な体現者であるニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)〔図7〕とセザンヌの関連を論じるうえで取り上げられた(注33)のは、《大水浴》〔図8:出品番号107〕である。周囲の形態と空間を構築する術を見出だした瞬間からようやく、セザンヌはプッサンを称賛できるようになった。彼が38歳くらいのころ、1876-78年ころにはそこに達していたはずである。それまでバロック美術に魅了されていたプッサンが、古典主義の道を選んだのとほとんど同じ年齢である(注34)。セザンヌの初期における様式は、今日においても「バロック的」と形容される場合が少なくはない。青年期ならではの情熱にあふれていたがゆえに、ときおり暴力的であるとすら言われるその様式に取って代わったのが印象派の技法であり、それ以降は規則的な筆触が画面全体を統括するようになった。この本質的な転換を示しているのがくだんの《首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ》であり、このころからセザンヌは古典主義に傾いた、とステルランは指摘している。この作品の前後で初期とそれ以降の時期を二分するという本展の構成は、印象派の筆触と色彩によるセザンヌの様式の変遷を確かに説明するものである。そのうえで、初期にいたるところで見られるバロック的な諸要素が古典主義の精神によっていかに統制されていったのかを物語るために、ステルランはその変遷にプッサンの画歴をなぞらえている。プロヴァンス─カルトンとセザンヌ古典主義にまつわる芸術の起源をめぐる議論において、プッサンがローマで古代美術を受容したという前例に基づいて語られたのが、セザンヌとその故郷であるプロヴァンス地方との関係であったのは言を俟たない。この文化的な「南」というトポスにかんして興味深いのは、中世美術史を専門としたステルランが、プロヴァンス地方における芸術の原始的なものとして、アンゲラン・カルトン(Enguerrand Quarton, ca. 1410-after 1466)の宗教画を取り上げていることである。《聖母戴冠》〔図9〕に描かれた風景の一部〔図10〕と、1929年にルーヴル美術館に移管されたカイユボット・コレクションのひとつである《レスタックから見たマルセイユ湾》〔図11:本展には未出品〕とのあいだに造形的な類似性を見出だしたステルランは、「この「キュビスト」の配置はプロヴァンスの風景に備わっているものである。15世紀の解釈者― 234 ―― 234 ―

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