鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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「印象主義を美術館の芸術のように永続的なものにしたい」とは、セザンヌと古典主義の関係を物語るドニによる証言(注40)であり、ユイグはこの定型句をプロヴァンス、あるいは地中海という環境の観点から説明している。「彼がラテン人であったと言えばその根本的なあり方の大半を、そして彼が南仏人であったと言えばその外交的なあり方の大半を説明できるであろう。」(注41)と語るユイグがひときわ強調しているのは、セザンヌの「ラテン性」である(注42)。39)。彼が印象主義に与えるこの厳格さは、ラテン民族としてのデカルト的精神のそれである。(彼の一族がピエモンテを離れたのは17世紀でしかないのを忘れてはならない。)「合理的真実」にかんして見出だされた彼の遺伝的本能をうながすのが、印象主義者の教義の本質である。それは、芸術を目に見える世界、すなわち自然に留めて、そこで明確に可視化するもの、すなわち光を追い求める、現実の探究である(注43)。おわりに1936年の一大回顧展を担当したルーヴル美術館絵画部門の学芸員たちによるセザンヌをめぐる言説を詳細に辿った本稿では、15世紀から19世紀まで、新伝統主義に基づいた愛国的な観点から歴史の連続性のなかでセザンヌを物語るための、さまざまな修辞の様相が浮き彫りとなった。ル・ナン兄弟、シャルダン、そしてコローをとりわけ寵愛したジャモの持論は、セザンヌの制作したさまざまなジャンルの作品に適用され、彼らとの関連があらためて提示されるとともに、芸術の起源と環境にまつわる観点から自国の歴史を遡ったステルランやユイグは、ひときわ「フランス性」を体現した画家としてのセザンヌを称揚したのである(注44)。フランスにおける文化遺産の連続性を証明する画家としてセザンヌを顕彰するという本展の目的を総括するのに、《アンブロワーズ・ヴォラールの肖像》〔図12:出品番号101〕を取り上げた、プティ・パレ美術館副学芸員による『アール・エ・レザルティスト』誌の論評ほどふさわしいものはない。というのもそこでは、この画商をモデルとした際のセザンヌによる度の過ぎた描き直しの回数こそが、フランスならではの合理的精神に通じるものとして解釈されているためである。― 236 ―― 236 ―

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