鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
259/712

可能であり、カーノの《無原罪の御宿り》の彫像が譜面台上部を占める主題として適していなかったと考えるべきではない(注22)。むしろ、本来想定されていた聖歌隊席の中心的な位置から切り離してまで彫像を聖母の祝祭の日に主祭壇に置くように決定したという事実からは、参事会が、主祭壇の置かれる内陣空間において、聖母像に何らかの役割を期待していたと推測できるのである。3.「新たなエヴァ」としての聖母では、聖具室に移されたカーノの聖母像は、聖母の祝祭の日に主祭壇に置かれることによって、どのような意味を持つようになったのか。それは、「新たなエヴァ」としての聖母の性格を強調することであったと考えられる。「新たなエヴァ」とは聖母をエヴァにたとえる伝統的な神学議論である。アダムという最初の人によって人類にもたらされた原罪を贖うキリストは「新たなアダム」、「最後のアダム」と呼ばれていた(注23)。同様に、聖母は度々、堕落する前の純潔なエヴァと比較されてきた。エヴァは不従順にも蛇の言葉を聞いて神の言いつけを破り、善悪の知識の木の果実を食べて人類に原罪と死をもたらしたが、聖母は、従順に、大天使ガブリエルからの神のお告げを聞き、聖霊に包まれて神の子イエスを宿し、人類救済の起因となったのである。そのため、聖母は「新たなエヴァ」と呼ばれるようになった(注24)。聖母を「新たなエヴァ」と見なす時、救済におけるキリストの協働者として役割が重要であった。『創世記』の中で主なる神はエヴァを誘惑した蛇に次のように述べる。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く(注25)「お前」は蛇を、「女」は直接的にはエヴァを、蛇の頭を砕く「彼」は「女の子孫」から現れる救世主のことを指すとされるが、「女」や「女の子孫」には聖母やキリストも予示されていると解釈される(注26)。人類の敵となった悪魔の象徴である蛇との戦い、つまり、蛇の誘惑によってもたらされた原罪を贖う救済において、聖母はキリストと密接に結び付いた協働者であったのである(注27)。聖母の祝祭の日にカーノの聖母像が置かれたグラナダ大聖堂内陣〔図5〕では、丸天井のドラムの部分に、16世紀に制作された二層のステンドグラスの連作と、カーノの描いた七つの絵画から成る「聖母伝」が飾られている。ステンドグラスは、アダム― 246 ―― 246 ―

元のページ  ../index.html#259

このブックを見る