本表象を総体的に捉えるため、ジョルジュ・ビゴー(Georges Bigot, 1860-1927)をとり上げた。1882年から1899年まで日本に滞在したビゴーは、帰国後も精力的に日本を描き続けた画家で、定期刊行物にも日本を主題に挿絵を提供した。中でも『ジュルナル・デ・ヴォワイヤージュ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』といった外国への旅や探検に特化した海外情報誌や、植民地新聞『ル・ミディ・コロニアル■■■■■■■■■■■■■■■■』に多くの作品を残している。考察にビゴーの日本表象を加えることで、二十世紀転換期のフランスにおける移ろいゆく日本表象の傾向を多面的に考察し、日本表象研究に新たな参照項を提示する。1.絵入り新聞に描かれた「日本」〔表1〕は、1900年代から1920年代においてLIlとLMiに掲載された日本関連の図版をカテゴリー分類(注2)し、図版の表示数を数値化したものである。最も多いのが日露戦争に関するもので、412枚確認できた。西洋の大国ロシアと極東の小国である日本が対立した日露戦争は軍事国同士が本格的に衝突した戦争であり、イギリスやアメリカ、フランス等、他国や諸地域を間接的に巻き込んだ(注3)。それだけにフランスの絵入り新聞からの注目度も高かった。日本が日露戦争に勝利したことで、イギリス、フランス、アメリカ等、欧米の公使館が大使館に格上げされ、英露仏との同盟・協商関係が築かれた。〔表1〕で外政に関する図版が二番目に多いのは、このように日本の国際社会における地位が上昇したからである。外政で描かれたのは、中国・韓国での日本の活動や、国際会議に出席する日本代表団の様子、日本の貴人の外国訪問や物品の寄贈等の国際交流、そして東京の日仏会館の設立や日本とフランスの関係を記念したモニュメントの建立等の日仏交流である。日露戦争、外政に続いて多いのが文化にまつわる図版である。LIlを見ても1900年代は39枚、第1次世界大戦が勃発した1910年代は21枚と日本文化には常に高い関心が寄せられていたことが分かるが、1920年代では65枚と飛躍的に増加している。もともと文化というカテゴリーは1890年代以前の絵入り新聞に掲載された、日本を題材とする喜劇『コジキ』の挿絵や北斎漫画のスケッチ(LIl)、美術史家ルイ・ゴンスによる『日本美術』から一部抜粋された挿絵(LMi)に見るように、フランスの日本趣味・ジャポニスムの流行を牽引し、幻想的な日本像を形成する要因であった。そのため、19世紀から20世紀における日本表象の変遷とその特徴を明確にする上で、とりわけ文化に着目することは重要である。まずは文化に関する日本の表象を年代順に概観してみたい。― 13 ―― 13 ―
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