鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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とエヴァが善悪の知識の木の果実を食べる『創世記』の「堕落」の場面〔図6〕とキリストの生涯を主とした新約の場面から成り、救済の物語を示す。その下のカーノの「聖母伝」は、聖母崇敬のためというよりも、上のステンドグラスの主題と関連して信者をキリストへと導く道筋として描かれる(注28)。そして、内陣の入口のアーチを支える柱の上部の円形ニッチには、晩年のカーノによって制作された《アダム》と《エヴァ》の胸像〔図7、8〕が対置される。人類に罪と死をもたらした最初の二人は、内陣のステンドグラスと絵画で示されるキリストによる救済の物語と聖母の生涯を見ているのである(注29)。内陣の中心となる主題は、「聖母伝」の中央にくる四つ目の絵画、大聖堂のタイトルである「受肉」〔図9〕であった。大天使ガブリエルは既に告知を終えて翼を畳んで跪き、聖母は胸の上で両手を交差させ、従順に神の御言葉を聞き入れる。天上からは聖霊を示す一筋の光が、神の子の宿される聖母の腹部へと伸びる。神の御言葉と聖霊の光は、画面右側の白百合によって示唆される純潔な聖母の胎内に宿り、神の子は人の形をとるのである(注30)。「受肉」を中心に救済の物語が展開される大聖堂の内陣空間の主祭壇に、カーノの《無原罪の御宿り》の聖母像は置かれることとなった(注31)。通常、この内陣の図像プログラムには、聖体の秘跡を記念する意味合いがあった(注32)。しかし、聖母の祝祭の日に主祭壇に《無原罪の御宿り》の彫像が加えられることで、内陣の《受肉》の絵と結び付き、救済における聖母の役割が強調されていたと考えられる。つまり、原罪に打ち勝った聖母像は、《受肉》の絵で描かれているように、従順に天使のお告げを聞いて神の子を宿し、内陣の図像プログラムで語られるように、この世に救済をもたらす「新たなエヴァ」としても示されるのである。既に「無原罪の御宿り」の崇敬が定着していたグラナダの大聖堂において、その主題を表した彫像を主祭壇に置き、原罪から免れて救済の協働者となる「新たなエヴァ」としての聖母の役割を強調して彼女の祝祭を演出することこそが、カーノの彫像を聖歌隊席の譜面台から切り離した動機であったと言える。結びグラナダ大聖堂のカーノの《無原罪の御宿り》の聖母像は、本来想定されていた聖歌隊席の中心的な位置から切り離されて、聖母の祝祭の日に主祭壇に置かれることとなった。その内陣空間では、カーノ自身の《受肉》の絵を中心に、絵画やステンドグラスでキリストによる救済の物語が示される。従来指摘されることはなかったが、聖― 247 ―― 247 ―

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