鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
27/712

1900年代は以前の幻想的な日本像を描いた図版(写真)が多く見受けられる。1905月4月1日に掲載された《花の季節の日本:菖蒲園》では、全面に広がる菖蒲園が描写され、前景には二羽の鷺、後景には着物を着た二人の日本人女性が写し出された。日本を花の楽園とみなし、自身の小説に登場する日本の女性の名に菊や撫子等の花を使用した(注4)ピエール・ロチを考慮すると、このような構成の図版は日本の幻想性を強調するものとして、前世紀のジャポニスムを具象化していると言える。また、西洋化によって変化する日本文化に批判的な図版も確認できる。1908年4月25日の《日本庭園にて》は、一本松に石灯篭、池のほとりで水面を見つめる着物姿の若い日本女性が描写されている絵画的で幻想的な写真だが、記事ではかつての日本庭園が表現していた精神や道徳が西洋文化の影響で失われてしまうことへの後悔が綴られている(注5)。1910年代に入ると幻想性や西洋化批判を示唆する図版は減少する。その代わり、日本イメージは西洋の文化を取り入れた新しい日本文化を容認する記事の図説として掲載された。日本の米文化を扱った記事では、写真において伝統的な農具を用いた米作りを紹介しつつ、近代的な機械導入の事実は淡々と言及されるに留まっており、特に批評されていない(注6)。また、ヨーロッパ様式の外観・内装と歌舞伎の花道を融合させた帝国劇場(注7)や、平安装束を着た日本の男性たちが西洋のサッカー(記者は蹴鞠をサッカーと誤認している)に興じる場面(注8)の写真では、西洋文化を自国の文化に上手に取り入れる近代日本を受け入れるキャプションが添えられている。こうした新旧融合の日本文化を認める傾向は1920年代にも引き継がれるが、その中で古い日本の痕跡を新しい文化に見出す内容の図版や記事が登場する。1929年9月14日に掲載された写真《日本の宮廷:高位の官僚の儀式用服の試着》では、洋装の着付け師が宮中行事に参加する高官に伝統的な装束の着用を補助する場面が写されており、記事では古来の習慣が何一つ犠牲にされていないことを伝えている(注9)。同様に、同年6月から7月にかけてパリのジュ・ド・ポーム美術館で開催された「日本美術展─現代の古典派」展の記事では、展示された作品の写真12枚を掲載しながら、作品に日本画古来の技術や原料、媒体、様式、伝統的な精度が見出せることを高く評価している(注10)。以上、1900年代から1920年代の文化に関する図版に描かれた「日本」を見てきたが、19世紀後半に主流であった幻想的な日本像や西洋化への批判から、新旧が融合した日本文化の容認、そして伝統的な日本の再発見(注11)という変化が読み取れる。― 14 ―― 14 ―

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る