鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
271/712

したのは、各線の起筆の位置や角度が不揃いな点である。〔図9〕の筆線の起筆がほとんど真一文字に整えられているのに対して顕著な違いを示しており、これによって筆線の直線的で角ばった印象が軽減している。塗抹された部分のある岩において捉えられる筆線のなかには、起筆側先端が丸まったような形状を示すものもあり、いずれも起筆の形状と並びが揺らぎのない直線となるよう描かれてはいないようである。では、このような描写によってどんな効果がうまれているのだろうか。同時期の他作家の岩の表現も参照しつつ、友松画が「線」を排することによって達成していることを考えてみると、たとえばそのひとつとして「稜線や稜角が曖昧になる」ということが挙げられる(注3)。筆線によって岩塊がいかに形づくられているかを考えながら諸作品の岩をみていくと、線の長さや密度によって濃淡を設けるということのほかに、岩の稜線を指示するような描写があることに気づく。例えば曽我直庵の作とされる高野山遍照光院蔵「商山四皓虎渓三笑図屏風」の岩〔図13〕、長谷川等伯筆とされる東京国立博物館所蔵の「瀟湘八景図屏風」の岩〔図14〕、狩野元信筆と伝わる大仙院方丈障壁画の岩〔図15〕などをみると、〔図13〕では濃く明晰な起筆と淡くたち消えていく収筆が隣り合うことによって、〔図14〕では筆線と筆線のあいだに筆触を置かない部分がつくられることによって、ひとすじの白く地のみえる箇所ができる。また〔図15〕では直線の両側で濃淡に明確な差がつけられている。このように、白く見えるわずかな部分や濃淡の境界となる部分に、岩の稜線が想起されるのではないかと考える。対して友松画では線的な要素を控えているために、このような表現が生じにくくなっていることに加え、たとえば〔図11〕でみた岩の形を幾度もたどるような筆運びは、ひとすじの稜線を表そうとするものではなくむしろ稜線になり得る部分を覆っているようでもある。以上、岩の描法をあらためてみてみると、稜線や稜角、岩の凹凸などを線によって明示しない筆遣い、いわば形態の詳細を定めないような描き方が、友松画の基底の一端として捉え得るのではないかと考える。また岩と樹木のどちらについても捉えられた、その景物の表面を撫でるかのように感じられる筆触は、友松画に用いられる筆運びの一傾向と、ものの形態や量感を表現することについての友松画のひとつの特徴を伝えているようにも思われる。おわりに今日友松筆とされる現存作品の作期は、最晩年の約二十年ほどに集中すると考えられており、前半生の画業についてはほとんどが不明である。一方、推測される作期を― 258 ―― 258 ―

元のページ  ../index.html#271

このブックを見る