鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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限られた範囲の色彩が使われている。磯崎はのちに、長住支店の1階カウンターの写真を用いた《内部風景III 増幅性の空間-アラタ・イソザキ》(1979年)〔図7〕を第11回東京国際版画ビエンナーレに出品している。六本松支店(1971年)〔図8〕では、長住支店と同規模で、設計が同じ年だったこともあり、長住支店と同様に、壁、天井など全てが1.2mの正方形で覆われているが、内部の地の色は銀色となっている。ファサードは1.2×1.2m角のアルミニウムパネルで覆われ、HOME BANKという文字が切り抜かれている。佐賀支店(1973年)〔図9〕では、外側のHOME BANKの文字、正方形の増幅、45度方向に架構した鉄骨、2階の青を基調とした鮮やかな色彩など、今までの支店に見られる特徴の集大成となっているとともに、1辺10.8mの2つの立方体を取り出し、一方をずらし、切削しといった形態操作が行われている。新宿支店(1974年)〔図10〕は、第7ポールスタービルの地下1階と地上1、2階に位置し、磯崎は内装を手掛けている。「磯崎氏設計のユニークな店舗」(注7)とあるように、1階はカウンターを境に黄色で彩色された2本のヴォールトが並行して通っており、北九州市立中央図書館、富士見カントリークラブハウス(いずれも1974年)につながってくるだろう。以上、磯崎が関わった福岡相互銀行の支店について確認した。東京支店、六本松支店などで福岡相互銀行のキャッチフレーズを外観にあしらうなどしているが、一連の支店を通して福岡相互銀行の統一的なイメージを表現するというよりは、それぞれの支店で、磯崎がその時に試みたかったことが実現され、いずれも銀行建築の概念を塗り替える建築となっている。支店は小規模な建築であるとはいえ、長住支店のファサードは群馬県立近代美術館で展開されるなど、1960年代後半から1970年代前半にかけて同じ用途の建築をまとまって設計した経験は、1970年代に公共建築群を設計する上での基盤となったことは指摘できるだろう。福岡相互銀行本店の竣工時における美術作品本店〔図11〕竣工の数か月前、『西日本新聞』は、インド産の赤砂岩が覆う高さ50m、幅80mの外壁、九州の地場銀行では初めて導入されるオンラインシステムなどとともに、内装の新たな試みを報じている。「一つの応接間づくりを、一人の作家にすべてを任せる。壁面、天井、床から家具まで、いっさいを各作家の個性で仕上げるが、完成後も作家と部屋とのつながりは切れず、適当な時期に作家がそれぞれの部屋の模様変えをしていく─。これが“動的”な磯崎構想である」(注8)とあるように、― 266 ―― 266 ―

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