磯崎の起点ととらえることもできるだろう。本店と四島コレクション磯崎の設計した本店は、施主の四島を一大コレクターへと変貌させる。以下その過程を見ていきたい。四島は、専務の趣味という問いに、「最近は、つとめて絵をみることにしています。テレスコビッチの絵が好き。ロマンチックで夢のある画、明るい画風ですから。」と答えている(注14)。以下にも詳しく述べている。─ 油絵はどんな方の絵が好きですか?四島 最近はここにかけていますデレスピッチ[ママ]の絵がありますがね、これも非常にロマンチックで、わたしは好きな一人ですね。─ いまどき珍しく夢のあるほのぼのとした絵ですね。四島 たしか別荘で、歩いているのが奥さんですね。─ 具象系統がお好きでね。四島 そうですね。抽象は余り好きではないですね。─ ブリヂストンの石橋会長も抽象はわからない、といわれてましたが……。四島 そうですよ。(注15)1960年代後半、具象画を好み、抽象画は余り好きではなかった四島であるが、本店建設を契機に、その趣向は次第に変化してゆく。「十年前、磯崎新さんの設計で本店をつくったとき、応接ルームの空間と絵と調度を氏(引用者注 斎藤義重)に一任したが、抽象が日常にしっとりとなじむのに驚いた。」(注16)と回想しているように、まず抽象画に囲まれる日々が大きかった。また野見山との以下の対談から、磯崎の建築の空間自体も大きく影響しているのがわかる。野見山 ところで家内からきいたのですが、私の描いているへんてこな絵を四島さんがみられて、何描いてるか分らんじゃないか。それが数年もたたないうちに、そのわかんない絵を好きになってきて、その時間的距離が短いので、家内がびっくりしていました。だから、ぼくは、そこのところ、どうしてかなと思って……。― 268 ―― 268 ―
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