鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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注⑴ 福岡相互銀行は、1989年に普通銀行に転換した際に福岡シティ銀行に、2004年に西日本銀行と合併した際に西日本シティ銀行に商号を変更しているが、本稿では竣工時の名称である福岡相互銀行を用いた。また建築名のあとには竣工年を記載した。⑺ 「新宿支店開店」『ホームぎんこう』166号、1974年9月、表紙裏⑵ 2022年3月5日に開催された「FAFサロン018若き磯崎新と福岡 西日本シティ銀行本店・秀巧⑶ 「磯崎新作品年譜」(『現代日本建築家全集21』三一書房、1971年、222頁)に「1968 福岡相互銀行八幡支店・基本計画」、六角鬼丈「自作年譜」(『日本の建築家3六角鬼丈』1985年、142頁)の1967年に「福岡相互銀行八幡支店設計に従事。」とある。また桜沢義信は、「磯崎先生と八幡支店を一緒にさせていただいて、色や光なども強く意識するようになりました」と回想している。「〈ホームぎんこう〉に相性のいい建築を」『ホームぎんこう』133号、福岡相互銀行、1970年12月、23頁⑷ 「[とびら]名を惜しむ」『ホームぎんこう』115号、1968年11月、3頁⑸ 「鉄都に青空を 八幡支店新築開店!」『ホームぎんこう』116号、1969年1月、4頁⑹ 「九州の青空をもちこみたかった 東京支店設計について磯崎新さんにきく」『ホームぎんこう』ラなど福岡シティ銀行所有の3点、福岡地所所有の7点がサンフランシスコ近代美術館に売却されることとなった(注26)。四島美術館の基本設計が依頼された前年、磯崎は奈義町現代美術館の設計を開始し、1992年8月には完成した美術館とほぼ同じ形の構想ができあがっている(注27)。磯崎の本店の空間が生み出したといってもいい四島のコレクションを公開する美術館が実現していたらどのような美術館になっていたか、興味がやまないアンビルド建築である(注28)。おわりに2020年、福岡相互銀行本店は解体された。磯崎は長いスパンで考えると、建築はいずれ解体され、建築をめぐる言説、模型、版画などの方が後世に長く残ることを認識し、それらの制作にも力を入れてきた。建築は解体されたが、福岡相互銀行本店は、磯崎が残した版画作品(注29)、本店の空間から育まれた四島コレクションなど、様々な形で我々の前に残されている。謝辞本稿の執筆にあたり、磯崎新アトリエ 辛美沙様、染谷李枝様、西日本シティ財団 清家尚美様をはじめ、多くの方のご指導・ご協力を賜りました。ここに記して深く感謝申し上げます。社ビル」において、倉方俊輔氏が本店とともに支店の建築群についても論じている。139号、1971年7月、8頁― 270 ―― 270 ―

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