鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⒀ Robert de Beauplan, « ʻLa Batailleʼ de Claude Farrière au cinéma », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 17 注⑴ LMiについては、調査時点でフランス国立図書館の電子図書館(gallica)で一般公開されてい⒃ 山崎ゆき子「フランスにおける「日本」のイメージ形成:「ハラキリ」を中心に」『神奈川県立国際言語文化アカデミア紀要』神奈川県立国際言語文化アカデミア、2017年、16-17頁、URL:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.pref.kanagawa.jp/documents/32645/k0702.pdf(最終確認日:2024年4月18日)⒅ 挿絵の調査はフランスの国立海外文書館(Archives nationales dʼoutre-mer)とパリ=ナンテー⑵ カテゴリーの基準は次の通りである:①日露戦争 ②外政 ③文化 ④社会 ⑤災害 ⑥軍事 ⑦旅 ⑧内政 ⑨第一次世界大戦 ⑩イベント ⑪風習 ⑫産業 ⑬風土 ⑭民族 ⑮研究⑶ 佐々木雄一『近代日本外交史』中公新書、2022年、85頁⑷ 和田章男《ピエール・ロチ『お菊さん』─日本イメージ形成の物語》『異邦人の見た近代日⑸ Anonyme, « Le printemps au Japon », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 25 avril 1908⑹ A.D., « La culture du riz au Japon », ■■■■■■■■■■■■■■■■■, le 24 septembre 1910⑺ J.-C. Balet, « Un théâtre moderne au Japon », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 1er avril 1911⑻ Anonyme, « Une partie de football à la cour du Mikado », ■■■■■■■■■■■■■■■■■, le 27 décembre 1919⑼ Le Semainier, « Courrier de Paris. Salon dʼessayage », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 14 septembre 1929⑽ André Duboscq, « Une exposition dʼart japonais classique contemporain », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 15 juin 1929⑾ 実際、1928年と29年のLIlクリスマス号では、鳥居清長や東洲斎写楽、鈴木春信等の浮世絵の⑿ François de Tessan, « Croquis de voyage de Mathurin de Méheut », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 23 avril novembre 1923⒁ ■■■■.⒂ J.B., « Courrier de Paris. Les livres dʼart. Les gardes de sabre japonaise », ■ʼ■■■■■■■■■■■■, le 20 décembre 1924⒄ 日本文化に親しんだ駐日大使ポール・クローデルの影響により日仏の親睦が深まったことも関かになった。日本が戦時体制へと移行していった1930年代以降を考えると、後者のようなイメージはこれからの世界情勢や日仏関係を予見するものであると言える。本研究はビゴー作品のみをとり上げて絵入り新聞の日本表象の傾向と対照させたが、より正確な日本表象の変遷を考察するためには、今後、他の作家や刊行物等の作品を検証する必要があるだろう。る1923年までのデータを基に考察した。本』懐徳堂記念会編、和泉書院、9-11頁特集号が挿絵付きで組まれている。1921係しているかもしれないが、論文の本筋から逸れてしまうため別の機会に論じたい。ル大学のラ・コンタンポレーヌ図書館にて行った。― 17 ―― 17 ―

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