鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
301/712

が見られる。そこで、それら先行研究や公刊物を頼りに再整理のうえ、実見調査を行った。4.クシャーン朝期マトゥラーの弥勒像既に多くの指摘があるように、古代のインド美術を扱うに際しては、経典や儀軌類による尊格同定は有効とはいえない。したがって、弥勒の同定には、過去七仏と未来仏である弥勒菩薩が並置された作例や、銘文のある作例が根拠として扱われてきた。幸いにも、マトゥラーには弥勒銘を伴う像が一例見いだせる。古代パンチャーラ国の首都・アヒチャトラーAhicchatrāに比定される地での発掘で発見された立像の台座には、初期クシャーン期の特徴を示すブラーフミー文字で「弥勒像が一切〔衆生〕の利益・安楽のために造立せしめられた」と解しうる銘文が刻まれる(注8)。インド碑銘全体の中で弥勒銘を伴う像は僅少だが、かの地においては弥勒という尊格が認知されていたことがわかる。銘文を伴うことにより本像は、マトゥラー派の弥勒像の基準作として知られてきた〔図1/No.1〕。本像は、連弧紋を周囲に施した頭光を負い、右手を肩口に挙げて施無畏印を示し、左手には水瓶を執る。上半身は裸形でV字にたわむ首飾りの上にU字状の短い首飾りを重ね、聖紐を身に着ける。左肩からは風をはらむように天衣をかけ、膝丈の下衣を纏い、裸足で表現される。左手に水瓶を執るという特徴はクシャーン朝期の西北インドで多数作られた弥勒像の特徴と合致し、両地域で基本的な特徴が共有されていたことを想像させる。ただし、頭髪が螺髪で表現される点が西北インド像で多く見られる形式と異なる。西北インドでは、髪を頭頂部で束ねて環状に結い上げる束髪式〔図2〕か、髪を頭頂部で肉髻状に結い上げるスタイル〔図3〕が通例であることから、螺髪状に表現される点はマトゥラー派の特徴として挙げられよう。つぎに、過去七仏と菩薩が並置されたとみられる作例もラクナウ博物館所蔵品に二例知られる。まず、上段に仏伝場面(帝釈窟説法、初転法輪、降魔成道)とスーリヤ像、下段に向って左から二坐仏と二菩薩、交脚の姿勢で合掌する人物と、槍のようなものを持って立ち控える人物像が表される断片〔図4/No.5〕を見てみよう。下段の二坐仏と二菩薩の左右には、ターバン冠飾を付けて払子を持った人物がそれぞれ侍している。坐仏の右には、さらに別の坐仏の膝と侍者の姿の一部が残る。二坐仏は通肩と偏袒右肩で着法は異なるが、いずれも右手は施無畏印、左手は衣端を持ち上げる。その左にはターバン冠飾で禅定印を結ぶ菩薩があらわされ、釈迦菩薩を意図したものと解しうる。出家前は王族であった釈迦を、ターバン冠飾を着けた形で表現する点は― 288 ―― 288 ―

元のページ  ../index.html#301

このブックを見る