僧衣を偏袒右肩に着す点が注目される。ところで、Aタイプの像では、水瓶の持ち方が共通していることが分かった。Aタイプでは、親指を正面に向けて水瓶の口の部分に載せ、人差し指と中指の間に水瓶の首の部分を挟む。こうしたスタイルは西北インドでも一定数見られる。これを踏まえると、ガーダープルGirdharpur出土の坐像断片もAのグループに属する可能性がある〔図8/No.4〕。本作例は、結跏趺坐する下半身と左手首より下、そして台座が残る。損傷した左手首には、親指、あるいは水瓶の首に当たる部分の断片があらわされ、人差し指と中指で水瓶の首を挟んでいるようである。台座には中央に法輪柱をはさんで4人の人物が表され、全員が華綱のようなものを執っている。台座には銘文が上縁に一行、下縁に一行残る。ただし、下縁部は筆者が確認した時点では漆喰で補強され、その大半が見えない状態であった。Rosenfieldによると、「大王Huvikaの〔治世〕二九年、雨季の第四月九日、この時〔この像が〕Ārakiの住民Karaitaにより×××寺(vihāra)において法蔵部(Dharmaguptaka)の所領として〔造立された〕。一切衆生の利益と安楽のために」とあるという(注11)。本像はこれまで注目を集めてこなかったが、弥勒像であった場合、弥勒と法蔵部の関係を示すうえでも興味深い。弥勒信仰が部派の中でそれぞれどのように受け止められていたのかを検証する視点からも、本像は重要な資料といえる。次にBのタイプとして、ジャマールプルJamalpur出土と伝わる欄循柱に釈迦とみられる菩薩とともにあらわされた作例〔図9/No.6〕、マトゥラー博物館所蔵の小品〔図10/No.7〕、そしてラクナウ博物館所蔵の欄循柱にあらわされた作例〔図11/No.8〕が挙げられる。これらは共通して方形の冠をかぶるが、そのデザインはそれぞれ異なる。特にNo.8の作例では、正面に結跏趺坐の坐仏があしらわれている点が注目される。本件に関しては、化仏を冠に着けることから観音とする見解もある一方で、『観弥勒菩薩上生兜率天経』において弥勒が化仏を付けた宝冠を着けていると記述されることを論拠に弥勒とする意見もある(注12)。本経が論拠になり得るかについてはさらなる検討を要するが、少なくともこれら四作例では、上半身は裸で右手を施無畏印に結び、左手に水瓶を執る点で共通しており、マトゥラーで観音と解し得る例が僅少であることからも弥勒を意図した蓋然性が高い。さらに、掌を正面に向けるかたちで水瓶を執る点も共通している。西北インドでは、親指を正面に見せる、あるいは手の甲を見せて水瓶を執ることが多いことから、掌を正面に向けて水瓶を執る点もマトゥラーの特徴として挙げられる。なお、こうした水瓶の持ち方を考慮に入れると、唯一Cのタイプとして挙げた― 290 ―― 290 ―
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