鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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⑹ A. K. Coomaraswamy, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, New York, 1965; 山本智教『マトゥ⑻ 塚本の解読による。塚本によると、銘文はハイブリット・サンスクリットで、初期クシャーンのブラーフミー文字であるという。本来二行から構成されたとみられるが、一行目は損傷しており、残存する二行目は前面から右側面にかけて刻されている;塚本1996、543頁。図版出典図1、4-12 撮影筆者 詳細は〔表1〕を参照図2 弥勒菩薩立像部分 田辺勝美・前田耕作(1999)『世界美術大全集 東洋編15』小学館、Fig. ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Göttingen, 1961; 静谷正雄『インド仏教碑銘目録』平楽寺書店、1969; 塚本啓祥『インド仏教碑銘の研究』平楽寺書店、1996, etc.⑺ A. Foucher, ■ʼ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, 3vols., Paris, 1905-51; J. M. Rosenfield, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Berkeley/ Los Angeles, 1967; 高田修『仏像の起源』岩波書店、1967; 宮治1992、281-301頁etc.⑼ 宮治はグプタ朝以降、シヴァや菩薩の髪型として知られるようになる髪髻冠(Jaāmukua)の⑽ ただし、公刊図録では詳細が不明瞭な作例も数点あり、今後実見調査の必要がある。なお、調査において未附番のストゥッコ製の作例等も確認できたが、損傷が激しい、造作が不鮮明であるといった理由から今回の分類からは除外した。⑾ Rosenfieldは字体から、アヒチャトラーの立像のほうが古いか、あるいは同時代くらいの作であると指摘している。和訳は静谷を参照; K. D. Bajapai. “A New Inscribed Image of Maitreya from Mathura”, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■11■■■■■■■■■■, 1951, p. 95; Rosenfield 1967, p. 231, Fig. 32; 高田1967、Fig. 126; 静谷1974、88頁; 1979、63頁; 塚本1996、69頁。⑿ 肥塚隆「大乗仏教の美術」『講座大乗仏教』10、春秋社、1985、276頁;宮治1992。⒀ Coomaraswamy 1965, pl. XXI, fig. 79.⒁ S. J. Czuma, ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■, Ohio, 1985, pl. 57.ラの古美術』1956; 宮治昭『涅槃と弥勒の図像学』吉川弘文館、1992.祖型にあたる可能性を指摘する;宮治1992、360-361頁。126(Sikri出土, Lahore Museum蔵)図3 弥勒菩薩立像部分 撮影筆者(Mardan出土, Indian Museum蔵)― 293 ―― 293 ―

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