鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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㉘ 岸田劉生の静物画における制作プロセスの研究【本研究の前提】研 究 者:東京文化財研究所 研究員  吉 田 暁 子本稿では、岸田劉生による油彩の静物画の光学調査の結果を報告し、彼の制作プロセスについて検討する。静物画は、1916(大正5)年以降に岸田の主要な画題となった。配置を変えながら限られたモティーフを描く手法は特徴的なものであり、彼の画業における重要性は従来から指摘されてきたが、本研究課題に直結する先行研究として、萬木博康氏による静物画の構図の編年的な分析は重要である(注1)。一方で、岸田の静物画の中で《手を描き入れし静物》(1918年5月8日完成)という作品は、完成当時とは異なる状態で現存し、そのことは評価の曖昧さにつながっていた。稿者は本研究に先立ち、同作に描かれ、現在は塗りつぶされている人間の手というモティーフを含めた完成当時の姿を確認するため、同作の光学調査を行い、X線撮影によって手を含む全体画像を得たほか、可視域内励起光を用いた蛍光撮影によって手を塗りこめた層と考えられる部分を特定した(注2)。また蛍光X線分析の結果、手を塗りこめた層からは微量のチタン元素が検出された。さらに同作と近い年代に制作された静物画4点(《静物(青林檎三個と湯呑と茶碗)》、《青布と林檎四個》、《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》、《静物(赤林檎三個、茶碗、ブリキ罐、匙)》)とを調査した結果、1917年8月31日に完成した《静物(青林檎三個と湯呑と茶碗)》(大阪中之島美術館蔵)と1918年4月12日に完成した《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》(福島県立美術館蔵)について、近赤外線撮影により、制作中に構図が変更されたとみられる痕跡を見出した。この結果は、近赤外線撮影では現在の構図との違いが一切写し出されず、制作に着手したときと完成時とで構図は変わらなかったと考えられる《手を描き入れし静物》の調査結果とは異なるものであった。また、事物の配置に規則性のある岸田の静物画において、制作中にモティーフの位置が変更されているということは意外な発見でもあった。これらの結果を受け、本研究課題では、新たに1917年から1929年にかけての岸田劉生による静物画5点の光学調査を行った。本稿では先行調査を行った未報告の4点と合わせ、9件の調査結果を報告する。岸田が「静物の構図に独自の美が出せればその人は立派な独立した画家だと云へる」(注3)とまで述べて重視した「静物の構図」とは何であったか、本研究によってその全容が解明されたわけではないが、制作中の変更という新事実によって、それは必ずしも制作の前に完全に決められていなかった― 297 ―― 297 ―

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