[構図を変更した跡が発見されなかった作品]現在の位置より左上に描かれていたとみられる跡〔図5〕、現在は画面右側に位置する壁面の角を表す垂直の線がより左側の画面中央近くに描かれていたことを示す跡〔図6〕、花瓶が現在より右上に描かれていたとみられる跡〔図7〕、三個の林檎を載せるコンポートの脚部の右下にかかる林檎のような丸いモティーフの跡〔図8〕が見出された。また可視域内励起光を用いた蛍光撮影では、画面中央手前に位置する林檎の下に、卓上に映りこむ影とみられる跡が見出された〔図9〕。7.《静物(リーチの茶碗と果物)》1921年3月14日、似鳥美術館蔵〔図10〕近赤外線撮影(透過光)〔図11〕により、机と壁面を示す直線の移動と、画面中央の、現在円筒形の湯呑がある箇所に丸い果物のようなモティーフが描かれた跡が見出された〔図12〕。同作は1920年12月21日に描き始められ、画室の光線のよい日を選び、間を空けながら制作が進められたことが日記に記されており、制作初日と完成日の日記には略図が描かれている。初日の日記には「金と赤の林檎五つ程と梨を二つ、みかんの半分青いのを二つにリーチの茶碗一つ」とあり、略図には確かに現在画面手前にある茶碗一つと、現在とは配置が少し異なる果物が描かれる。一方で完成日の3月14日の日記には、岸田が完成した作品を壁に掛けている所が描かれるが、円筒形の湯呑を含めて現在の構図がほぼ忠実に描かれている。「左端の果物のグループ殆どかき上げる」(2月7日〈月〉晴)、「今日は机を少しかいたが感じがずっとしまって来た」(2月26日〈土〉晴)などという記述から、各部分を緻密に描く様子が伝わるが、果物が湯呑に取り換えられた時期は特定できなかった。2.《青布と林檎四個》1917年9月15日、個人蔵〔図13〕同作では、構図を変更した跡は見出されなかった(図版は近赤外線撮影〈透過光〉)〔図14〕。また同作では、事前に設定した10か所で蛍光X線分析を行った。チタンは検出されず、白色顔料としては鉛(Pb)が最も多く検出され、亜鉛(Zn)も全体に検出された。青布の最も明るい部分や手前左の赤い林檎のハイライトなど部分的に亜鉛の比率が高い箇所があり、シルバーホワイト(鉛)に加え、ジンクホワイト(亜鉛)がハイライトにも用いられたと考えられる。3.《卓上林檎葡萄之図》1918年2月8日、豊橋市美術博物館蔵〔図15〕同作は板に油彩で描かれているため、透過光による近赤外線撮影は行わなかった。同作の調査では事物の位置や構図が変更された跡は見出されなかったが、近赤外線撮影(反射光)により、右辺を上に向けた状態で縦方向に文字が書かれていることが― 299 ―― 299 ―
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