鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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21〕。分かった〔図16〕。林檎の左下隅辺りから「岸田劉生」、現状で壁となっている部分の下には「鵠沼の我が寓居なり」と書かれている。また林檎の上部分にかかる文字は「見ゆる」に似ているようにも見られる。同作の裏面には、1917年7月27日の日付を左下に持つ縦長の風景画と、その風景画の中央に丸みを帯びた外周を持つ室内画が描かれている〔図17〕(注4)。表面の作品の下に隠れている文字は、向きと内容の一致により1917年2月17日に完成した風景画について書かれたものと理解できる。この画板ははじめ1917年の風景画として裏書まで含めて完成し、その後、現在の表面の静物画と、裏面の室内画とが描かれたことがわかる。現在、表面となっている静物画は、画面左下の縦書きの記述と、画面上部中央の「劉」の飾り文字を中心に左右に書かれる「Feb.8」「1918」の文字により1918年2月8日に完成したことがわかるが、裏面の風景画の上に描かれる室内画との前後関係は不詳である。6.《静物(赤林檎三個、茶碗、ブリキ罐、匙)》1920年3月27日、大原美術館蔵〔図18〕同作はキャンバスが木製の板に貼りこまれているため、透過光による近赤外線撮影は行わなかった。近赤外線撮影(反射光)、蛍光撮影〔図19〕では現在の構図を変更した跡は見出されなかった。同作については、岸田の日記によって1919年12月1日に着手され、他の作品と並行して断続的に制作が続いたことがわかるが、完成した3月27日の日記には「兎に角仕事に一くぎりつけないと気がおちつかず、それにもういくら描いても同じ様なものなれば、思ひ切って机の上の林檎や鑵を置きかへてしまった」とある。8.《冬瓜葡萄図》1927年10月、岡山県立美術館蔵〔図20〕現在の構図を変更した跡は見出されなかった(図版は近赤外線撮影〈透過光〉)〔図事前に決定した13か所で蛍光X線分析を行ったが、チタンは検出されなかった。キャンバスの白色部分からは亜鉛(Zn)と鉛(Pb)とが検出され、亜鉛が高い比率を示した。彩色部分では部分的に鉛が高比率で検出され、ジンクホワイトとシルバーホワイトが併用されたことが分かった。9.《ギヤマンのある静物》1929年1月、岡山県立美術館蔵〔図22〕現在の構図を変更した跡は見出されなかった。事前に決定した22か所で蛍光X線分析を行ったが、チタンは検出されなかった。キャンバスの白色部分からは亜鉛(Zn)と鉛(Pb)とが検出され、鉛が高い比率を― 300 ―― 300 ―

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