鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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立派な独立した画家だと云へる」、「昔の聖書中の事績や神話の役目を、近代に於ては卓や林檎や器物がする」としており、これは岸田の静物画観としてよく引用される文章である。4月12日に完成した《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》、5月8日に完成した《手を描き入れし静物》の制作は、このような静物画についての執筆活動と並行していた。絵画制作と執筆活動の往還運動の中から「写実」、「装飾」、「想像」という後の「内なる美」につながる諸要素が抽出されていくのである(注6)。1920年に刊行された『劉生画集及芸術観』においては、《白き花瓶と台皿と林檎四個》が「静物の美の実感」を示す作品として取り上げられた一方、《手を描き入れし静物》は自作リストからも削除されており、二点の扱いは明暗を分けているが、自他ともに代表作とした《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》は制作中に悩みぬいた末に構図を変更した作品であった。1920年時点の岸田にとって、「静物の構図」とは、完璧に構成してから描くのではなく、制作中に自問自答しながら作り上げていくものであったということになる。今回確認された制作中の変更点とはどのようなものであったか。まず、変更箇所が多く複雑である1917年の《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》及び1918年の《静物(白き花瓶と台皿と林檎四個)》と、1921年の《静物(リーチの茶碗と果物)》とを分けて考えたい。《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》において岸田が消した三角形の事物は、同年9月15日に完成した《青布と林檎四個》に描かれる青い布を左右反転した形と似ている。これは萬木博康氏が岸田の静物画の構図を編年的に考察する中で「小さい三角形を左わきにかかえた大きい三角」と称した同作の構図(注7)、すなわち三個の林檎による逆三角形を左に持ちつつ湯呑と茶碗と林檎の形作る三角形(あるいは下の切れたひし形)の構図を強化するように、円筒状の湯呑の中心上方に頂点を持っている。また林檎や湯呑といったモティーフがこの三角形におおわれていたとすれば、同作より約ひと月前に完成し、ともに第4回二科展に出品された《土瓶とシュスの布と林檎》(1917年7月21日)における、青布が林檎や茶瓶を包む構図に似ていたことになる。また、《白き花瓶と台皿と林檎四個》における壁の線を現在のやや右寄りから中央に、花瓶をやや中央上に、跡に沿って移動させると、こちらもモティーフを中央に集め、中心に頂点を作る三角形の印象が強まる。どちらの作品においても、モティーフを求心的に集めて中高の構図を作る志向が先にあったが、完成時には三角形を構成する規則性を残しつつ、個々のモティーフの独立性が強まる表現が選ばれたと考えられる。反対に、1921年の《静物(リーチの茶碗と果物)》については、はじめ背の高さに― 302 ―― 302 ―

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