鹿島美術研究 年報第41号別冊(2024)
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い」(注10)という願望に近づいているともいえる。器物や果物に聖性を与える思考に加え、教会と静物画とを物理的に結びつける試みは、木村荘八によって同時期に紹介されたファン・エイク兄弟、とりわけ兄のフーベルトとの比較によってより一層「写実的」とされたヤン・ファン・エイクからの影響を物語っている(注11)。そして、聖なる事績を描いたことではなく、事物を写実的にとらえ見事に描写したことによってヤンを高く評価するという木村が紹介したファン・エイク理解は、19世紀ヨーロッパにおいて示された近代的な理解でもあった(注12)。1918年の岸田は、《卓上林檎葡萄之図》とその裏面の室内畫によって静物画を絵画の中心に置き、《手を描き入れし静物》や《詩句ある静物》といったそれまでにないタイプの、宗教絵画を思わせる深い空間や豪華な道具立てを持つ静物画と、切り詰めたモティーフによって平面的な表現を突き詰めた《白き花瓶と台皿と林檎四個》のような作品とを並置するという多面的な制作を行っており、それは「装飾」、「写実」、「想像」といった言語による対比を伴うものでもあった。さらに同年、岸田は以前に見た「ギリシャ彫刻の黒奴の首」の図版に改めて刺激を受けて《首(柏木氏の首)》、それから《手》という彫刻作品を初めて作っている。二科展に出品された《首(柏木氏の首)》は、同じく出品作であった絵画作品《川端正光君の像》と同様に首から上のみを作ったものであり、また《手》は二科展には出品されなかったものの、同年に描かれた《手を描き入れし静物》、またその2年前に描かれていた絵画作品《手》との関連を連想させるものであった。人物画と静物画というジャンル、また絵画と彫刻というジャンルをまたぐ制作姿勢は、《手を描き入れし静物》を含む複数の作品によって示され、1918年の岸田を特徴づける。この多様で饒舌な制作からは、唐突ながら諸芸術の優位性を比較し論じたルネッサンス期の論争「パラゴーネ」を一人で演じているような印象すら受ける(注13)。対比を通じて表現を磨くという手法は、静物画の端緒を開いたと考えられる《壺の上に林檎が載って在る》とその前に描かれた《壺》との関係の上に既に具現してもいた。風景画においても同じ地形を異なる角度から描いた作品はあるが、視点やモティーフを固定する静物画という画題は、対比そのものの持つ説得力や、それによって際立つ絵画の魔力に岸田を引き込んだのかもしれない。事物を置き換えながら繰り返し描くことで、岸田は目の前のモティーフを脳内に焼き付け、最終的には画中にその生命を移し替えてしまうことを祈念していたようにも見える。― 304 ―― 304 ―

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